中国の習近平国家主席の一人娘、習明沢さんが今年2月、習近平氏の地方視察に、母親の彭麗媛さんとともに同行していたことが分かった。『習近平の正体』(小学館刊)の著者で、中国問題に詳しいジャーナリスト、相馬勝氏がリポートする。
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習氏一行は習氏が15歳から7年間過ごした陝西省の農村を視察したが、明沢さんは、いまだに洞窟を家代わりに使ったり、アスファルト舗装がしていない道などを見て、あまりの非近代的な生活にショックを受け、「こんな田舎にいたくない」などと視察を拒否していたことを北京の消息筋が明らかにした。
習氏らは春節(旧正月)前の2月13日から16日までの4日間、文化大革命(1966-1976年)の7年間、「農民とともに労働して社会主義の精神を学ぼう」などという毛沢東主席の提唱によって習氏が下放されていた陝西省を訪れた。
陝西省はシルクロードの起点で、砂埃が舞う「黄色い大地」と呼ばれるが、習氏は手記やインタビューなどで、「この黄色い大地で私の人生の根幹ができあがった」などと当時の生活を懐かしんでいる。
当時は水道も電気も通っていない農村地帯で、習氏は正体不明の虫に刺されて、身体全体が真っ赤に腫れるなどの奇病も経験しており、いまでは電気や水道は通っているものの、村には水洗トイレはなく、いまでも貧困地帯であることは間違いない。
明沢さんは幼いときから都会暮らしで、昨年5月まで米ハーバード大学に4年間留学しており、典型的な都会派。それだけに、陝西省の農村部の視察はお気に召さなかったらしく、村に着いたとたんに、「もう、ここにいたくない」と駄々をこねて、母親の彭麗媛さんを困らせたという。
このため、彭麗媛さんと明沢さんの2人は視察を中止し、その日の宿泊先になっている西安のホテルに向かうことにして、習氏だけが村での視察を続けることになったという。
このため、本来ならば、親子3人で訪問する予定だった共産革命の重要歴史博物館も習氏が1人で回ることになり、家族の仲の良さを演出する試みも計画倒れになってしまった。
北京で生まれ育った習氏も文革で下放された当初、田舎暮らしが耐えられず、半年間で北京に逃げ帰り、叔父夫妻に説得されて、渋々戻ったという前科がある。このため、習氏は娘の明沢さんの気持ちを推し量ってから、一切怒らなかったという。