中国の李克強首相は、中国の国会にあたる全人代閉幕後の会見でこう言い放った。 「一国の指導者にとって、先人の業績を引き継ぐだけでなく、先人の罪な行いがもたらした歴史の責任も負わなければならない」「安倍談話」への牽制である。戦後70年を踏まえ、安倍晋三首相が今夏に発表する談話の検討が始まり、各国が動向を注視している。とくに中国、そして韓国の反発は必至である。国内でも発表を危ぶむ声が絶えない安倍談話に、果たして「正解」はあるのか。大前研一氏が解説する。
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中国は、かつてはモンゴル帝国や満州族に侵略され、イギリスとのアヘン戦争では賠償金の支払い、香港の割譲、上海、広州、福州、厦門、寧波の開港などを余儀なくされた。度重なる侵略の過去があるにもかかわらず、なぜ日本との関係だけがここまでこじれてしまったのか。その根源を考えることは、すなわち共産党が支配する中国、そして戦後日本の対中外交を見直すことと同義である。
直接的な契機は1972年の日中国交正常化だ。当時の田中角栄首相と周恩来首相が会談して国交正常化を決めたわけだが、その入り口の段階でボタンの掛け違いがあった。日中関係の歴史を(たぶん)深く知らなかった田中角栄が、それを知り尽くしていた周恩来にしてやられたのである。
田中角栄には過去の清算ができなかった。彼に十分な歴史的知識があれば、交渉の前段でこう言うべきだった。
日本は好き好んで中国に足を踏み入れたわけではない。日本で明治維新が起こるのと前後して、中国ではすでに英国をはじめとする欧米の侵略が始まっていた。そうした列強の魔手から逃れるには、自ら海を渡って中国の権益を得て欧米と伍する地力をつけていくしかなかったと。
しかし田中角栄は、そうした歴史経緯を省き、ニクソン米大統領による頭越しの米中接近(ニクソン・ショック)に焦るあまり、実利を重んじた解決を急いでしまった。
日本に対する戦後賠償の請求を放棄する代わりに、日本からODA(政府開発援助)で巨額の経済援助資金と技術を引き出すことを目的とした周恩来の提案を「ヨッシャ、ヨッシャ」で安易に呑んでしまう。これは外務省に文書が残っていないため“口承伝説”になっているが、そこに今日の問題の根源がある。
つまり、戦後のスタート地点で互いの歴史認識を調整する努力をしないまま問題を解決しようとしたから、ややこしくなってしまったのだ。
※SAPIO2015年5月号