NHK山形放送局のキャスター時代から「推定Hカップ」の豊満なバストが話題となり、“スイカップ”の異名を取った古瀬絵理さん。現在はフリーアナウンサーとしてテレビのバラエティや旅番組でも活躍中だが、いつまでも胸ばかりが注目されることには抵抗があったという。
そんな古瀬さんが自らの胸を売りにグラビアや写真集を出すまでに至った経緯とは何か。今だから話せる「スイカップ騒動」を振り返ってもらった。
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――スイカップというニックネームが浸透したのは2003年ごろでしたよね。
古瀬:そうですね。ちょうど元フジテレビの高島彩さんなどが人気となった「第二次女子アナブーム」の時代。マスコミの人たちも新たな人材というか“ネタ”を探していたんでしょうね(笑い)。そんなとき、ネットに「山形のNHKに童顔で胸が大きな女子アナがいる」と書き込まれたのが広がって、スポーツ新聞や週刊誌に狙われることになりました。
――最初はどう思いましたか。
古瀬:NHKに入って最初の年は真面目にニュースを読んでいたので、本職以外で注目されることには戸惑いました。しかも、ウチの家系は母親も祖母もみんな胸が大きく遺伝なんです。だから、取り立てて家の中で「この子は胸が大きいから……」と話題になることもありませんでしたしね。
もちろん、中学生の体育会でブルマーと白いTシャツ姿になったときに、「ほらあの子、すごく胸が大きいよ」と先輩の声が聞こえてきたり、たまたま教室にあった拡声器で「古瀬さんは胸が大きい!」と言われたりしたことはありましたが。
――コンプレックスを抱えていた時期もあったのですね。
古瀬:心のどこかで「胸が大きくていい事なんて何もないな」と思っていました。私の場合は度を越して大きいので服を選ぶのが難しいですしね。その代わり、この胸があるおかげでドレスなど露出の激しい服がカッコよく着られるということに、大人になってから気付きました。
――初対面の男性からは、必ず“胸から目線”が来るんじゃないですか?
古瀬:はい、絶対に顔より先に胸に視線がきます! でも、もう慣れっこです(笑い)。
――東京で活躍する少し前には、サッカーJ2モンテディオ山形の監督だった柱谷幸一氏との不倫疑惑が報じられました。
古瀬:柱谷さんとは本当に仲が良かっただけ。私は男女の友情は存在すると思っていたので、男性の友達にも平気で連絡も取り合いますしね。でも、既婚者が相手なのに、少し軽率だったかもしれないなと思い反省しました。
その後、事実と違うことも書かれて、大物でもないのにカメラマンに追われて人間不信になった時期がありました。そのせいもあって、テレビ番組でいろんなタレントさんとご一緒させていただく機会が増えたいまでも同業者や有名人の知り合いはほとんどいません。
――東京では女子アナたちから嫉妬されたこともあったのでは?
古瀬:女子アナと呼ばれる人は全国にたくさんいますが、厳しい視線を送られたこともあります。「ふーん、この程度?」って露骨な感じで。特に地方から出てきた人たちは上昇志向が強い人たちが多いのか、怖いですよ。私の場合は先にスイカップが出てしまっただけで、べつに有名になりたいという志向もなかったのに……。