春夏合わせて7度の甲子園制覇、多数のプロ野球選手を輩出。大阪・PL学園高等学校は、誰もが知る野球の名門校である。しかしその野球部は昨年10月に新入生部員の募集停止を発表し、存続の危機に陥っている。母校の復活を期待する黄金期を支えたOB、片岡篤史(1988年卒、元日ハムほか)、橋本清(1988年卒、元巨人)、大西宏明(1999年卒、元近鉄ほか)の3氏が緊急集結。あの“栄光の日々”の泣き笑いを語り合った。
片岡:大西は何期やっけ。
大西:44期です。
片岡:僕らとは11期違うのか。いま話題の上重(聡・日本テレビアナウンサー)と同期やね?
橋本:上重に「1割でエエからカネ貸して」って言うといてくれへん?
(一同爆笑)
片岡:しかしベントレーはいかんわな(笑い)。自家用車通勤は禁止されとったんやろ?
橋本:電話かけてもコールバックがいつも遅かったし、折り返しがまったくない時もあった。マエケン(前田健太・52期)もそうや(笑い)。
片岡:ピッチャーに多いねん(笑い)。橋本もかけてこんことあるやないか。
橋本:俺はちゃんとかけるがな(笑い)。まあ、上重を含め、PLはいま色々と大変だよな。学校の問題は後で触れるとして、まずは大西の話聞かせてや。
片岡:大西の代はええメンバーが揃っとったよな。エースが上重、控えの捕手がヤクルトにいる田中雅彦。セカンドが近大のコーチの松丸文政、ショートが本橋伸一郎……(と、当時のメンバーを暗誦)。
橋本:よう覚えとるなァ。
片岡:当時日本ハムで、鎌ヶ谷へ練習に行く途中、車の中で大西たちの試合を観てたんよ。横浜の松坂(大輔。現ソフトバンク)と当たった1998年の夏の甲子園準々決勝。当時は車を停めないとテレビが観られないカーナビで、遅刻覚悟で観てた。
橋本:母校愛すごいなお前。
片岡:あの試合は結局、何時までやった?
大西:午前8時半プレーボールで12時すぎまでやっていました。延長17回です。
片岡:あの松坂から7点も取った。大西は11回に同点タイムリーを打ってる。
大西:9点取られましたけどね(笑い)。僕はその翌年、松坂のプロ初登板(1999年4月7日)で、片岡さんから155キロで三振を取ったのを見ていましたよ。
片岡:あれなァ……。PLを甲子園で2回も破って春夏連覇した松坂にプロの厳しさを味わわせてやろうと思ったんやけど、反対にやられた(笑い)。スライダーが凄かったわ。
大西:でしょう。
片岡:その松坂の球を打ち返した大西の株が上がったなァ。
橋本:アカン、全然わからん。俺、部外者みたいや。
※週刊ポスト2015年5月8・15日号