【書評】『アホウドリを追った日本人 ── 一攫千金の夢と南洋進出』平岡昭利著/岩波新書/780円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
沖縄本島の東方約四〇〇キロに、南北ふたつの大東島がある。断崖絶壁の地形のため、漁船を係留できずクレーンで上げ下ろし、人もウィンチで釣り上げられる。島の名物が「大東寿司」だ。サワラやカツオをヅケにして握ったもので、同じ寿司をはるか離れた小笠原諸島・父島で食べたことがある。
南大東島は、明治三十三年まで無人島だった。八丈島出身の玉置半右衛門率いる一団によって開拓されたのだが、彼らはなぜこの孤島にやってきたのか。その謎を本書が解き明かしてくれる。
玉置の目的はアホウドリであった。両翼を広げると二・四メートルにも及ぶ海鳥だ。無人島で繁殖するため人を恐れず、簡単に捕獲されてしまう。明治以前は北太平洋全域で見られ、日本周辺の島々でも数百万羽、あるいは数千万羽生息していたといわれる。この鳥の羽毛に着目したのが、横浜の外国商人だった。明治初頭から軽く温かい衣服の材料として、のちには鳥のはく製製品を大量に買いあさったのである。
日本人商人にとっては、鳥の羽毛は文字どおり「一攫千金」の夢をかなえた。その代表的人物である玉置は、初期の小笠原諸島開拓に従事したことがあり、アホウドリ商売のうまみに気づいた。伊豆諸島最南端の鳥島では十五年間で六〇〇万羽を「撲殺」して絶滅に追いやったが巨万の富を得て、さらに南へと進出していった。
「バード・ラッシュ」と呼ばれる背景には南洋進出を目論む海軍や資本家の思惑もからんでいる。尖閣諸島上陸の経緯もこの流れの中にあったのだ。やがて鳥資源が枯渇すると、進出の目的はリン鉱開発などに変遷していく。
南大東島には玉置の予想ほどアホウドリが生息しておらず、サトウキビ作地として開拓される。八丈島からの移民などがやってきて大規模なプランテーション経営がなされ、製糖会社の「紙幣」が流通していた。住民が自治を得たのは何と昭和二十一年である。今日の資源開発競争をも映し出す示唆に富む一冊だ。
※週刊ポスト2015年5月8・15日号