中国の最高指導者、習近平国家主席と親しいことで知られる台湾人ビジネスマン、宣建生・冠捷科学技術グループ会長。同氏は習氏について、「習近平氏とは福州市トップ時代からの付き合いだが、彼が経済界の人々と付き合うときには、過度な付き合いは避け、『君子の交わり』を心がけていた」などと語り、習氏がビジネス上の便宜を図ることで賄賂を要求するようなことは一切なかったと強調した。
習氏は現在、反腐敗運動を展開しているが、この宣氏の発言は習氏の潔癖さを印象づける狙いがありそうだ。香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」が報じた。
宣氏は1943年、福建省で生まれたが、7歳の時、父母とともに台湾に渡り、名門の国立成功大学で電気工学を学び、米ボストン大学やニューヨーク大学で学び博士号を取得。ゼネラル・エレクトリック(GE)に入社したが、その後台湾に帰り、1990年に現在の冠捷科学技術社を創業し、主にコンピュータ部品を製造。当時の中国政府の呼びかけに応じて、福建省の省都、福州市に進出した。そのときの福州市トップの市党委書記が習氏だった。
宣氏によると、習氏は外資を大事にしており、「とくに台湾系企業には企業経営がしやすいように目配りをしていた」という。宣氏は福州市での工場建設資金を借りるため、「中国の銀行を紹介してほしい」と習氏に依頼したが、銀行の名前を挙げただけで、「直接交渉した方がよいでしょう」とすげない返事だったという。
だが、後に知ったところでは、習氏はその銀行のトップに話をつけており、宣氏が銀行のトップと会った段階で、融資は了承されたという。宣氏は習氏について「仲介の労をとったことで、何らかの見返りを求めることのない指導者でした。われわれ経済界の人間とは文字通り『君子の交わり』を実践していました」と称賛する。
また、宣氏は習氏が2000年に福建省長に昇格した際も、習氏が自ら宣氏の工場に足を運び、「不便なことはないか」などと気遣ってくれたというエピソードを明らかにした。さらに、宣氏が事業を拡大する際、習氏は当時の機械電子工業相だった胡啓立氏に書簡を送り、紹介の労を惜しまなかったという。しかし、「いずれも習氏が見返りを求めることはなかった」と宣氏は明かす。
宣氏は福州で習氏とテニスに興じたり、庶民の食べものであるジャージャー麺や羊のしゃぶしゃぶを食べるなど、「習氏はいつも気さくで、気取らない庶民的な指導者だった」と習氏を評している。