「おれより先にいくなんて、順番が違うだろ」──4月22日、加山雄三(78才)はこんなコメントを出して、“伝説のミュージシャン”の死を悼んだ。
日本のグループサウンズブームの立役者でもある『ザ・ワイルドワンズ』の加瀬邦彦さん(享年74)が、4月20日に亡くなった。加瀬さんは2014年2月に下咽頭がんが発覚し、翌月に声帯手術を受けて以降、のどに呼吸用チューブをつけて生活していたが、発見時、彼はこのチューブを自ら塞いだ状態で絶命しており、自殺とみられている。
加瀬さんと加山は、同じく湘南育ちということで、60年間にわたって親交があり、『ザ・ワイルドワンズ』と名づけたのも加山だった。それだけに、旧知の後輩に先立たれた無念さは人一倍だったようだ。
加瀬さんは、『寺内タケシとブルージーンズ』のメンバーとして活躍した後、1966年に『ザ・ワイルドワンズ』を結成し、『想い出の渚』など数々の大ヒット曲を生み出した。
「1971年に解散した後、作曲家として活動を始めると、沢田研二さん(66才)の『TOKIO』や、アン・ルイスさん(58才)の『女はそれを我慢できない』など、手がけた曲を次々と大ヒットさせ、彼らを一躍トップアーティストに押し上げました」(音楽関係者)
1981年に『ザ・ワイルドワンズ』を再結成した加瀬さんは、1994年に食道がんを患うも、手術で完治。その後はメンバーが続々とがんになり、2012年には、ついにメンバー全員ががん経験者に。
「“オレらは“ワイルドがんズだね”なんて言って笑っていました」(前出・音楽関係者)
人一倍健康に気をつかっていた加瀬さんだが、この1年間は相次いで病に襲われ、精神的に不安定だったという。
「声帯摘出で声を失った加瀬さんですが、来年の結成50周年に向けて、食道発声法を学んでいました。ところがその矢先に白内障を患ってしまい…。下咽頭がんの術後も芳しくなくて、最近は食事もとれないほど体調が悪化していたそうです。“もうライブは無理かな…”と嘆くこともありました」(前出・音楽関係者)
彼にとって、音楽なしで生きることは、死よりもつらいことだったのかもしれない。
※女性セブン2015年5月14・21日号