「若者の○○離れ」といったニュースに象徴されるように、近年、若者の“低欲望化”がしばしば話題となっている。こうした現象について大前研一氏は、「若者たちがあまり欲をもたなくなっていること自体は、ある意味で合理的な選択だと思う」と一定の理解を示す。が、一方で「大志なき若者」を憂いている。若者はどう行動すれば良いのか? 『低欲望社会─「大志なき時代」の新・国富論』(小学館)を上梓した大前氏が、未曾有の難題への答えを解き明かす。
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若者に大志を育てるにはどうすればよいのか。根本的な処方箋は、今の日本を覆っている“予定調和の怠惰な共産主義的社会”を変革していくしかない。
その方法は、たとえば異質な人たち──移民や留学生をどんどん受け入れて競争を活発化させることだ。そうすれば、同質社会の中で弛緩した日本の若者たちの間に、今の自分の能力では食べていけない、もっと努力しなければ路頭に迷うという緊張感と危機感が生まれ、少しは競争心を抱くようになるはずだ。
実際、大学の授業を英語で行なうようにしたフィンランドでは、ヨーロッパ中から学生が集まってきて競争が激しくなった結果、刺激を受けて起業する若者が急増し、経済が活性化している。
また、拙著の中でも書いたが、日本には「かわいい子には旅をさせよ」という格言が昔からある。親が、学校、先生、塾というものに子供を全面委託するのをやめて、世界に送り出すくらいハングリーな教育に転換すべきだと思う。
一方、若者が自分自身でやるべきことは、具体的で半年後に達成可能な目標を課して行動することだ。抽象的で誇大な目標は行動を生まない(=結果が伴わない)から無意味である。期間は3か月では短いし、1年では長すぎる。半年間そのことだけに集中して自分を追い込み、結果が出たら、その時点で次の目標を課して、また結果を出していく。人生というのは、それを積み重ねていった者が勝つのである。
とにもかくにも、このまま「低欲望社会」が進行したら、“斜陽”日本は二度と立ち上がれなくなってしまうだろう。明治時代は輝ける欧州に、そして戦後は豊かなアメリカに「追いつき追い越せ」とやってきた日本が、中国の台頭を妬むかのような行動・発言を繰り返すのはみっともない。若者の「高欲望化」を促す取り組みからスタートして、再び日本全体が「大志」を共有する作業に取りかかることが急務である。
※週刊ポスト2015年5月22日号