瑕疵(かし)物件と呼ばれる部屋や建物をご存じだろうか? 住人が自殺や原因不明の病死などいわゆる変死を遂げた部屋や、火事や事件で人死の出た建物が、そう呼ばれている。それらの物件は、全国で1日あたり約270室のペースで増えているといわれ、誰もが知らずに住んでいる場合がある。
これから紹介するのは、筆者(怪談蒐集家・西浦和也)が聞いた瑕疵物件に纏わる奇妙な体験談である。
* * *
それは今から二十年ほど前の話だ。浅川恵子さん(仮名)と夫は、東京郊外の一戸建てを借りていた。築四十年の古ぼけた家屋に、三十坪もの庭には一面に伸び放題の雑草。その一角に鎮座する、個人宅には不釣り合いな大きな焼却炉が気にはなったが、一戸建てでは破格の月額五万五千円という賃料に心を押され、すぐに借りたのだそうだ。
ところが住み始めてわかったが、この家から最寄りのゴミ集積場へ行くには周囲の畑を迂回しなくてはならず、回収車の来る時間もやたらに早い。出せずに溜まったゴミの処分に困った恵子さんは、庭の隅にある焼却炉を思い出した。古く多少の傷みはあったが充分使えそうだ。当時はまだ家庭でのゴミ焼却が行われていたこともあって、恵子さんは、この焼却炉を使うことにした。
数週間後、恵子さんが焼却炉でゴミを燃やしていると、不意に猫の鳴き声が聞こえた。
〈ニャーー ニャーーー〉
盛りのついた時のような、抑揚のはっきりした強い鳴き声。野良猫が入ってきたのかと、恵子さんは周りを見回したが猫は見えない。
〈ニャーー ニャーーー〉
もし家の床下や庭に居着いて、子供でも生まれたら大変だ。恵子さんは慌てて家に駆け寄り、縁側から床下を覗き込む。だが猫は影も形もなく、その鳴き声は焼却炉の方から聞こえている。やがて、焼却炉の火が消えると猫の声は止んだ。
その日から焼却炉を使っている時に限って、猫の鳴き声が聞こえるようになったが、それ以上不審なことはなく、恵子さんは次第に猫の声を気に留めなくなっていった。
ある日曜日のこと。いつものようにゴミを焼却炉に放り込み、火をつけた新聞紙をそこに投げ入れた。火はやがてゴミに燃え移り、次第に大きな炎になっていく。
〈ニャーー ニャーーー〉
またいつものように、どこからか猫の鳴き声がする。社交辞令のようにざっと辺りを見渡して、猫がいないことを確認すると、恵子さんは庭を横断して家に戻った。縁台から上がり、リビングを覗き込むと、三人掛けのソファーの上で夫が仰向けになって寝ている。
「まったく、いい気なモンね」
ため息をついて、キッチンに向かおうとした。その時。
「うぅ~ん、うぅ~ん」
低いうなり声で振り返ると、ソファーの上で夫が苦しそうにもがいている。
「あなた! どうしたの?」
夫は額に玉のような汗を浮かべ、しきりに脚でソファーの肘を蹴っている。その様子は、何かを必死に蹴落とそうとしているようにも見える。
「うぅ~ん、うぅ~ん」
「あなた、しっかりして! あなた!」
肩を掴み何度も体を揺さぶると、夫はやっと目を覚ました。
夫は大きなため息のあと、「…厭な夢を見た。炎に包まれた赤ん坊が、泣きながら俺の体の上を這いずり上がってくるんだ」と、震える声で言った。
〈ウンギャーー ウンギャーーー〉
突然、庭に赤ん坊の声が響き渡った。
庭の焼却炉からは真っ黒い煙が立ち上り、同時に焦げた肉のような臭いが鼻をついた。
恵子さん夫婦の借家が建つ場所には、もとは助産院が建っていたのだと、近所に古くから住む老人に教えられた。
五十年ほど前まで、辺りの住人たちはその助産院の世話になっていたという。管理基準も曖昧な時代には様々な医療廃棄物が庭の焼却炉で処分されており、不幸にして生まれてすぐになくなった子供も、そこで焼かれていたということは、当時の住人たちの知るところだったという。
その話に驚いた恵子さんは家に戻って、当時の跡が何か残っていないかと庭中を探した。すると生い茂る雑草の中に“鎮魂”と彫られた、掌程の石が置かれているのを見つけた。
二十年経った今も、家は借り手を待っているそうだ。
文/西浦和也
※女性セブン2015年5月14・21日号