【著者に訊け】橋爪大三郎氏/『教養としての聖書』/光文社新書/880円+税
世界的に類のない圧倒的ベストセラー、聖書。これを信仰ではなく、教養として読むことを、東京工業大学名誉教授・橋爪大三郎氏(66)は、日本人に提唱する。
「日本人が海外での交渉で対等に渡り合えないのは、神に対しても言うべきは言う一神教の習性を知らないからなんですね。ただ聖書は話が飛ぶ上に文脈がわかりにくく、信者でも読み通すのが難しい。そこで理解の補助線を引いたのがこの虎の巻で、聖書と一神教のことが本書を読めば〈七割方〉、おわかりになるはず」
本書では「『創世記』を読む」から「『ヨハネ黙示録』を読む」まで旧約聖書3編、新約聖書3編を講義形式で読み進む。七割方というのは66編中6編という量的制約もあるが、全てを読み通してもなおわからない余地や余白を聖書が残すからだ。
日本国憲法、民主主義、市場経済、科学技術、文化芸術。これを橋爪氏は大澤真幸氏との共著『ふしぎなキリスト教』(2011年)等で、キリスト教という「よその家」から養子に来た「5人きょうだい」に譬えている。
「あらゆる社会制度や芸術の根っこにキリスト教があるのは自明で、哲学も音楽も、神が世界について語った聖書の二次創作である文学もキリスト教の派生表現です。ところが日本では近代以降、その二次作品を輸入しては模倣するだけで、法や契約といった神との関係に因む概念を理解できていないから、応用問題となると全く解けない。そもそも聖書の旧約部分はユダヤ教やイスラム教とも共有で、キリスト教に関して明確な態度・姿勢を築けていないのは、日本人くらいかも」
聖書のわかりにくさは、その複雑な成立にも起因し、時を違えて書かれた書物がなぜ今の形になったのかを、〈人間が聖書を編集した〉との立場で研究する〈聖書編集説〉が存在するという。
「ただし聖書の場合、人間の書いた言葉がなぜ〈神の言葉〉として人間を支配できたかという合理的説明と、学問を超えて人々を捕える宗教的核心の、両方揃って初めて情報価値ができる」