「これからどんどん日本からメジャーに行く選手が出てきてほしい」
野茂英雄がドジャースタジアムの狭いクラブハウスで私にそう語ったのは1995年6月のことだった。
所属していた近鉄球団との全面対決、日本球界やメディアからの逆風を受けながらの渡米だった。この発言があったのは、ようやく本来の実力を発揮してトルネードがうなりをあげ始め、アメリカの野球ファンにも注目されるようになった頃である。
あれから20年。日本人メジャーリーガーは今や通算50人を超える。日本人選手たちにとってメジャーでプレーすることはもはや夢へのチャレンジから、海を渡るだけの移籍へと変わりつつあるように感じられる。“野茂以前”は遥か彼方にあった「メジャーの野球」は、それほど身近なものになった。
その変化は時の流れだけでなく、野茂の頑張りが呼び寄せたものだ。現役を引退する前年(2007年)のオフ、野茂は語った。
「自分がパイオニアだという意識はない。基本的には自分がやりたいから来ただけのことです。ただしひとつだけあるとすれば、自分は『日本人のレベルはこんなものか』と思われるのがイヤだった」
その強烈な思いが新人王に輝く1年目のセンセーショナルな活躍をもたらし、2度のノーヒッターという快挙を達成させた。そして、メジャー通算123勝という数字に繋がった。
野茂を迎え入れた当時のドジャース監督で、87歳になったトミー・ラソーダは年齢を感じさせない大声でまくしたてるように語る。
「ヒデオは単にチャレンジしただけでなく、大きな成功を収めた。彼がメジャーでデビューするまでの30年間、日本人はメジャー選手と力量を比べることができなかった。彼の大きな業績はそこにある。だからこそ次々に日本人選手がメジャーにやってきた。彼は日本のジャッキー・ロビンソンだ。MLBの殿堂に入る資格は十分にある」
●文/出村義和(MLB解説者・ジャーナリスト)
※週刊ポスト2015年5月29日号