大阪都構想をめぐる住民投票で敗北し、橋下徹大阪市長が政界引退を表明した。いったん表舞台から去っても、私は橋下氏が政界に復帰する可能性は十分にある、とみる。まず、敗北の弁を述べた会見で印象に残った部分を振り返ろう。次のところだ。
「住民のみなさんの気持ちをくみとれていなかった。負けるんだったら仕掛けるべきじゃない。その判断が間違っていた。政治家として一番だめです」
この発言は政治家の本質に迫っている。
トップリーダーは正しい政策を示すだけが仕事ではない。もっとも大事なのは「やるべきこと」と「実際にやれること」の見極めである。
正しいことでも、現実にはできることとできないことがある。それができるかどうかを判断して、無理ならどうすればできるかを考える。それが仕事なのだ。
私は大阪都構想という政策は正しかったと思っている。ただ残念ながら、市民に受け入れられるだけの環境が整っていなかった。橋下市長はその見極めに失敗した。
失敗した政治家はいくらでもいるが、そこから正しく教訓を学べる政治家はほんのひと握りだ。橋下氏のように、失敗から正しく教訓を学んだ人物こそが貴重なのだ。
安倍首相は第1次政権の崩壊から「正しくても周到な政治プロセスがない限り改革はできない」と学んで、いま再挑戦している。橋下氏も同じ教訓をかみしめているはずだ。猪突猛進、攻撃あるのみでは上手くいかない。ここを頭と体で理解しているかどうかが鍵になる。
そうは言っても「本人にヤル気がなければ、どうしようもない」という見方もあるだろう。橋下氏は会見で維新の党の法律顧問に就く意欲をちらつかせた。私は橋下氏が政治の世界と完全におさらばするつもりはない、とみる。
では、どういうタイミングで復活するのか。内政も外交も一寸先は闇だから、そこはだれにも分からない。
ただ言えるのは、政治家の復活には「だれにも分かる旗」が必要ということだ。安倍首相の場合は「アベノミクス」だった。橋下氏の場合、それは憲法改正あるいは道州制かもしれない。道州制は大阪都構想の先にあるはずだった。
いずれにせよ、単なる弁護士やテレビのコメンテーターでは収まらないだろう。橋下氏は会見で「権力は使い捨てがいい」とも言った。私には「自分は使い捨てで本望です」と言っているように聞こえた。
ならば、ぜひもう一度、「使い捨て」させてもらおうではないか。
■文・長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ):東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。規制改革会議委員。近著に『2020年新聞は生き残れるか』(講談社)
※週刊ポスト2015年6月5日号