戦後70年の節目に読んでおきたい、元日本軍エースパイロットたちが語る戦場秘話。話題の新刊『撃墜王は生きている!』(井上和彦著、小学館)より、日本陸軍において米戦闘機B29に対して戦闘機ごと体当たり攻撃を行った対空特別攻撃隊「はがくれ隊」の一員だった板垣政雄・元軍曹の証言を紹介する。
* * *
彼ら(はがくれ隊)が人々の期待に応えたのは、昭和19年12月3日の迎撃戦だった。この日飛来したB29は86機。板垣軍曹は、11機編隊の最後尾を飛んでいたB29の前上方から体当たりを試みた。
そのときの模様は、朝日新聞昭和19年12月5日付朝刊に克明に記されている。
〈ぐんぐん敵機が大きく迫ってくる、板垣伍長は一発も放たない。ああ、体当たりの決意はすでに烈火と若き板垣伍長の体を駆け巡っていたのだ。だが敵の火焔のまっただ中に突っ込んだ板垣機は遂に敵弾を受けた。発動機に被弾したのだ。燃料槽にも被弾したのであろう、バッと真紅の炎が吹き出した。熱い、焦げつくような熱気が頬に伝わった。板垣伍長は火焔に包まれた愛機を抱いて敵機へ。敵機の主翼のつけ根に敢然とぶつかった。敵の主翼がぶっ飛んだ〉
敵機の主翼を吹っ飛ばしたと同時に、板垣軍曹が搭乗する「飛燕」も空中分解し、彼は機外に放り出されて失神したという。見事体当たりに成功した板垣軍曹だったが、その後どうなったのか。本人が述懐する。
「あの日の戦闘では、B29よりも確か100mか200mほど高い高度をとって真正面から突進したんです。体当たりの瞬間はよく覚えていませんが、なんだかその衝撃で操縦席から放り出されてしまって……。
落ちていく途中で意識を取り戻したんです。そして落下傘が開いているかなと恐る恐る見上げたら、開かずにくるくる回っていたんですよ。落下傘の紐が引っかかっていたんです。落下傘の紐のもつれを直すには相当な力が必要で、思わず『神様、助けてください』なんて叫んでいたんですよ。それで両腕を思いっきり伸ばして3回ほど左右に回転しながら、なんとかもつれを直したんです。
ちょうどそのとき、地上から『ボー』という汽笛の音が聞こえてきましてね。そうしたら、空から降りてくる兵隊さんがこんなこと言ってるのを地上の人たちに聞かれたら笑われるぞ、と急に冷静になって、黙って降りたんです」
なんとか無事に落下傘が開き、千葉県印旛沼付近に着地した。板垣軍曹は、農家で応急手当てを受けたのちに取手駅から列車に乗って調布基地に戻ったという。空戦で落下傘降下したパイロットが列車で基地に帰るというのは、いまでは考えられないことだが、当時はそうするしかなかったのだろう。
板垣氏はこちらが拍子抜けするほど淡々と、当時を振り返った。前出の記事も、同様の記述から、こう結ばれる。
〈板垣伍長はちょっと前に行われた激しい空中戦も何も忘れてただしかめっ面をして腰をさすりながら、大地にしかと立ち上がったのであった〉
新たな英雄、誕生の瞬間である。
※井上和彦・著/『撃墜王は生きている!』より