名優・高倉健が亡くなった昨年11月、中国のメディアでは、まるで土砂降りのような大量の追悼報道が、およそ一週間以上にわたって続いた。
ちょうど直前に北京で開催されたAPEC首脳会議で、習近平・国家主席が安倍晋三首相に対し、無表情のまま握手をかわすなど無礼にも見える対応を取ったばかりで、「埋め合わせ」とばかりに派手に盛り上げているのではないかといった憶測まで生まれるほどだった。
しかし、中国の人々の悲しみが「本物」だったことは間違いないようだ。筆者の知人の中国人には、訃報のニュースを見ながら涙があふれてきたという人も多かった。それは、中国人の心の奥底に、高倉健に対して、日本人が想像もつかない特別な感傷が存在しているからだ。
高倉健という俳優が、国境を超えてかくも中国で深く愛された。その理由は、主演映画の上映のタイミングと深く関わっている。最初に上映されたのは「君よ憤怒の河を渉れ(以後『君よ』)」(*注)で、1978年のことだった。トウ小平が権力を掌握し、中国が「文革」の影から脱して「改革開放」に踏み切った、中国にとって極めて重要な意味を持つ年である。
【*注/1976年公開の大映映画。新宿の繁華街で、突如、見知らぬ女性から、「この男に強姦され、強盗された」といった冤罪の汚名を着せられた現役検事(高倉健)が、冤罪を晴らすべく逃避行を繰り広げる中でヒロイン(中野良子)と出逢い、さらに自らを嵌めた政治家の「巨悪」の真相に近づいていく】
それまでのまじめくさった社会主義的プロパガンダ映画に飽き飽きとしていた中国人は、娯楽性のあるスピーディーな日本映画に夢中になった。「君よ」が勧善懲悪の復讐劇だったこともプラスに作用したと言われる。文革など度重なる政治闘争によって心身ともに深く傷つけられ、鬱屈を抱えた人々は、悪い権力者をやっつけていく無実の者の怒りに、心からの快哉を叫んだ。
日本人にとって美空ひばりが戦後復興の象徴であるように、中国人にとって高倉健は改革開放の到来を告げる記憶そのものなのである。
■文/三好健一(ジャーナリスト)
※SAPIO2015年6月号