「歴史の罪を償え」……韓国はいつもこの決まり文句を叫ぶ。だが、果たして韓国の言う「私たちは常に被害者」という姿勢は、本当にその通りなのか。歴史を振り返れば、韓国は過去幾度となく、日本人への蛮行を繰り返してきた。
終戦前後、満州に侵攻したソ連兵によって多数の日本人婦女子が蹂躙された。だが、日本人に牙を剥いたのはソ連兵だけではない。それまで同じ国の民だった朝鮮人の一部もまた、日本人に襲いかかった。
第2次大戦中、海外には600万人を超える日本人が在留していた。そのうち民間人は約300万人。大半が中国本土や旧満州、朝鮮半島に生活基盤を持つ人々だった。
彼らの悲劇は1945年8月9日、ソ連による満州侵攻から始まった。ソ連は日本の敗戦が色濃くなった同年4月、「日ソ中立条約」を一方的に破棄。広島への原爆投下からわずか2日後の8月8日に対日宣戦布告し、翌日から満州侵攻を開始したのである。
圧倒的な兵力と火力で国境線を突破したソ連軍は、瞬く間に満州から朝鮮北部(北朝鮮)を制圧。現地ではソ連兵による略奪と暴行、殺人、強姦事件が相次いだ。
一方、朝鮮北部では進駐したソ連兵に加え、朝鮮人の治安維持にあたっていた朝鮮保安隊による暴虐行為が頻発した。現地の朝鮮人が暴徒化し、日本人が暮らす民家を襲撃することもあったという。
終戦当時、朝鮮北部で暮らしていた清水徹氏は『忘却のための記録』(ハート出版刊)でこう記している。
「駅の柵のところに二、三人の朝鮮人が来て、なにか大声をあげはじめた。日本人の悪口をいっているようであった。その数は五人、十人、二十人と次第に増え、女や子供まで集まって来た。『バカヤロー』『日本人、早くかえれ!』『天皇陛下はどうした、思い知ったか!』いろんな悪口が投げられ、そのうちに小石まで飛んできた」
同じく朝鮮北部の興南に住んでいた鎌田正二氏は、月刊誌『潮』(1971年8月号)で、
「ソ連兵や朝鮮保安隊の掠奪と横暴は、残酷をきわめた。夜なかに雨戸を蹴やぶって侵入してきたソ連兵は、十七になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった」と証言している。
※SAPIO2015年7月号