年間1億円以上を稼ぎ出し、はるばる海外から来る客もいたという元カリスマホスト・城咲仁(37才)。その後、タレントに転身し、バラエティーでモテテクニックなどを伝授していたが、現在の肩書きはフードアドバイザー! いつの間に料理キャラに!? シリーズ企画「転機」の今回は、キャラ変更の経緯について本人に語ってもらった。
――ホストのイメージから一転、料理番組でもご活躍されていますね。
城咲:本質は変わっていないんですけどね。元々ずっと自炊していたし、飲食店を出したかった人間なので。高校1年の時に、イタリアンの調理場でバイトをしたんです。店側が無理だというのを頼み込んで。3年間働いて、料理の基本テクニックはそこでマスターしました。
――薬膳インストラクターと雑穀マイスターの資格を取ったのはいつ?
城咲:先日、ジュニアスーパーフードの資格も増えましたよ(笑い)。薬膳インストラクターと雑穀マイスターは1年半くらい前で、ほぼ同時に取りました。半年くらいかかったかな。集中して1日中勉強することもありましたね。
――資格よりも、フードアドバイザーという肩書がついたのが先でしたよね。
城咲: テレビショッピングの仕事で、8年近く、料理しながら食品など販売したりしているんですけど。いつのまにかフードアドバイザーという肩書きで呼ばれるようになっていたんですね。ぼくが担当すると、販売数が全然違うみたいで。
――フード界でも伝説を作られた?
城咲:そうですね(笑い)。例えば、煮込んで具の溶けたサラサラのレトルトカレーが販売されていたのですが、ほとんど売れてなかったんです。ぼくは、具が入っていないのを強みにしようって。発想の転換で、カレーソースとして売ったらどうかと。料理の技術を持っていたから、そういうことが言えたんですね。
じゃあこれで簡単に、焼きカレーをフライパンひとつで作るのはどうかと考えた。しかも皿を汚さず、2分くらいで。1分弱中火で加熱して、卵とチーズを入れて40秒ほどで、いい感じの焼き加減になっておこげがつく。そんな提案をしながら販売したところ、バカ売れしたんです。
――商品をただ売るだけじゃなく、それに合ったレシピを紹介したんですね。