企業のトップは、それだけで「成功者」である。そこに至るまでには、多くの人生の岐路、苦悩、失敗があり、ピンチを乗り越えチャンスを掴んできたことも間違いない。作家の杉山隆男氏が、ヘルスケア商品も販売するなど「写真フィルム会社」からの大転換を果たした富士フイルムホールディングスの古森重隆会長に聞く。古森氏は2000年に社長に就任。以後、すさまじいばかりのフィルムレス化が進む中、会社の舵取りをしてきた。
──会社の存亡が問われているシャープの行方を見ていると、あらためてトップの舵取りは大事だと思いますが、古森さんが経営者として手本や目標にしていた存在ってありましたか。
古森:ありません。いろいろな人の話を聞くけれど、誰かを目標にしたとか、そういうことはなかったです。
──全部、自分の判断で。
古森:はい。
──自信はあった。では、社長は孤独だと感じるときはまったくなかったですか。
古森:孤独とは思いませんでしたね。経営者にとって大事なことは正しく判断する、決める、そして、やる、その3つです。責任を負いたくない、逃げたいと思ったら何も決められない。結局最後に頼むのは自分の力であり、強さであるという意味では孤独です。でも経営というのはそんなセンチメンタルなものではない。もっと苛烈なものです。大変だけど、でも、やってみれば面白い。
──2~3年で任期を終える企業トップが多い中、古森さんはCEOに就任されて今年で12年目です。トップはある程度長く務めなければならないとお考えですか。
古森:経営者を長く務めること自体に意味があるとは思いませんが、企業が大きな変革をなしとげるにはそれなりの時間が必要です。私の使命は業態転換で会社を再び成長軌道に乗せることで、それは正しい軌道に乗っていますが、これから収益力をさらに上げなければなりません。私のやるべきことはまだ残っています。
──業態転換を遂げた富士フイルムですが、社名から「フイルム」が取れる日も来るのでしょうか。
古森:現時点では考えていません。持株会社に移行した2006年、社名を「富士写真フイルム」から「富士フイルム」に変更しましたが、これは多角化が進んで、もはや写真が中心の会社ではなくなったからです。
当時、「フジックス」といった社名も候補にあがりましたが、専門家の見方では、新しいブランドを「富士フイルム」と同じくらいに認知させるには広告宣伝費だけで2000億円以上必要とのことでした。ならば富士フイルムが長年つくりあげてきたブランド力を活かしたほうがいい。写真フィルムが富士フイルムにとって今も技術の基盤であることに変わりはないのですから。
※週刊ポスト2015年6月12日号