めくるめく週刊誌の世界。その中でも様々な専門分野を扱う雑誌も多くない。今回は、葬儀の専門誌「SOGI」を紹介する。
創刊:1990年
月刊誌:奇数月10日発行
部数:6000部
読者層:全国の葬儀業者、関連業者ほか
定価:5184円
購入方法:1年以上の年単位の定期購読が基本で、下記の発売元に直接注文。
はがき1枚で知人の死を知らされ、シメは「葬儀は近親者のみで済ませました」の一文。これは有名人の死亡ニュースに限った話ではない。こうした昨今の風潮に戸惑っている人も多いのではないか。
「10年前から家族葬が増えて、今はそれが当たり前のようになってきましたね」
そう語る碑文谷創編集長(69才)は、『お葬式─臨終から納骨、法要まで』や、『「お葬式」はなぜするの?』など、死と葬送について多くの著書をもつ葬送ジャーナリストでもある。
「振り返れば、高度成長期からバブル崩壊まで、長い間、“社会的儀礼偏重の葬儀”の時代でした。その後、自分らしさにこだわる“自由葬”がはやり、生前の写真などを展示するメモリアルコーナーができたり、亡くなった人が好きだった音楽を流すようになりました。
“家族葬”が増えた背景には、それまで葬儀を派手にしすぎた反動があるといえます」
時代と葬儀、お墓、お寺の役割など、縦横無尽。深い知識に裏打ちされた碑文谷さんの分析は興味深い。
同誌の巻頭カラーページの、「最新葬儀レポート」では、私たちが目にすることのめったにない大型葬も紹介している。昨年9月20日に肺炎で亡くなり、11月25日にお別れの会を行った土井たか子さんの会もその一例だ。
記事には〈祭壇は幅12.6メートル、高さ、3.5メートル。奥行1.5メートル。花材はコチョウラン、白カーネーション、デルフィニウム、トルコギキョウなど約2000本を使用。開場から開式までの間、土井氏が好きでよく歌っていた曲「マイ・ウェイ」がBGMとして流された〉とある。
「流れを変えたといえば、葬儀業者の語り草は、武道館で執り行われた吉田茂元首相の国葬です。日本で最初の生花祭壇による葬儀で、白い菊の値段が高騰したそうです。
1991年に亡くなった俳優の松山英太郎さんの赤いバラの祭壇も葬儀の文化を変えました。葬儀に赤も刺のある花もタブーでしたが、以降、赤でもピンクの花でも飾るようになりましたね」
しかし、葬儀業界全体から見れば、大型葬はごく一部で“超高齢社会”の今、死亡者が増え、葬儀の件数も右肩上がりにもかかわらず、単価は減少していて市場全体は縮小しているのだそう。
小さな葬儀会社は倒産したり、資本の大きな会社に吸収されることも珍しくないとか。
「家族を自宅で看取らなくなったので、どう弔ったらいいかわからなくなっているんです。そこにきて、長く続く不況で、葬儀を選ぶ基準を“価格が安い”にする人が増えてしまいました。
昔のように祭壇の大小を競う必要はないと思いますが、安いからと、安易に家族葬にすると後悔することもあります」
“家族葬”の弊害は、生前、家族以上に身近にいて、その死を悲しんでいる人を締め出してしまうことなどにあると碑文谷さんはいう。
とはいえ、「死亡者の60%が80才を超えて亡くなっている」という中で、介護で疲れ果て、親子、夫婦の間に愛も絆もなくなった後、葬儀を行うケースも少なくない。
「そうすると、葬儀なんてどうでもいいという家族がいても、不思議ではないんです。生前、立派な行いをした人ばかりではないですから。
悲しみと、割り切れない感情が怒りになって、救いようのないきょうだいげんかに発展することもあって、葬儀時までに隠れていたものがいろいろ出てきます。それでも、誰にとっても家族が亡くなったということは大きなことで、その現実を受け入れるために、葬儀という形は必要です。それをあいまいにすると、後がうまくいかないんですよ」
同誌の人気企画“葬儀屋さんの歌”に、〈葬式の終わりて人の去りてより 仰げばやさし阿弥陀如来は〉とある。
無事に式を終え、会場を振り返った“おくりびと”の柔らかな視線が伝わってきて、胸の奥がほわっと温かくなった。
徳島県鳴門市の大会社会長の葬儀は、生花で渦潮を表現。立体的な祭壇で参列者を圧倒した。
取材・文/野原広子
※女性セブン2015年6月18日号