2000年、シドニー五輪男子柔道100キロ超級決勝で“世紀の誤審”に泣いた篠原信一は、周囲が猛抗議するなか、試合終了後に「弱いから負けた」とコメントし、表彰式で銀メダルを受け取った。しかしそんな篠原に「抗議せざるを得ない場面」が訪れたのが、2012年に行なわれたロンドン五輪だった。篠原が当時を振り返る。
──代表監督を務めたロンドン五輪の66kg級準々決勝では、海老沼匡(日本)が押していたにもかかわらず、旗判定で相手選手の勝ちにされた。そのとき、コーチ席から身を乗り出して抗議した。
「あのときは、ただただ海老沼に勝たせたかった。“勝ってるはずやのにおかしいやろう。しっかりしろよ、審判”という気持ちでした。選手は金メダルを取るために4年間、キツい稽古をやってきたわけです。
だから、いざ試合でそういうことになると、“どれだけ大変な思いをしてこの場に来たと思っているんだ、そこを踏まえて判定をしてほしい”といいたくなるんですよ。“ここはオリンピックなんですよ、審判の先生ももう少し集中してくださいよ”って」
──もし金メダルを取っていたら、何か変わっていたか。
「自分という人間はなにも変わらなかったんじゃないですかね。金メダルでも、負けても、こんなに厳しい取り組みをした4年間は二度と過ごせへんやろうと思って、引退することは決めてましたし。金を取っていたら、“当たり前やろ”という顔をして、若干調子に乗りすぎたっていうのはあったかもしれませんね(笑)。
でも、今思えば、あの誤審があるから自分のことを覚えてくれている人も多いのかなと思います」
撮影■村上庄吾
※週刊ポスト2015年6月19日号