神戸連続児童殺傷事件の犯人である当時14才だった「酒鬼薔薇聖斗」こと少年Aが、手記『絶歌』を発表した。被害者遺族の反発などもあり、大きな波紋を呼んでいるこの手記に、これまでAにかかわってきた人々からは、こんな感想が聞こえてくる。
当時、神戸家裁でこの事件の審判を担当した元判事・井垣康弘氏はこう語る。
「生き方を丸ごと転換するために、Aはこれを書く必要があったんだと思います。これまで、彼は自分のことを“人の皮を被ったケダモノだ”と考えてきました。世の人間とは対等につきあう資格がないんだと、口を閉じて、モグラのように土の奥底に潜って生きてきたんです。
でも、そんな生き方はもうやめたい、どんな非難を受けてでも世の中に出たい、そんなAの気持ちが伝わってくる手記でした。遺族感情を考えれば賛否がありますが、少なくともAが前を向いていることは伝わってきました」
井垣氏は、法廷でAと何度もやりとりをしただけでなく、その後も少年院でAと面会を繰り返し、2004年3月に仮退院するまでAを間近で見つめ続けた人物である。
そんな彼には、手記の中身はこう映った。
「執筆は、これから作りたい友人、それこそ恋人に読んでもらいたくて始めたのではないでしょうか。改めて注目を集めたいとか、自分の犯罪に酔っているとか、そういう意図ではなく、自らの悪行を隠さずに告白し、“それでもこの世界はぼくを受け入れてくれるだろうか”という、祈りのような気持ちが込められている気がします。
もしこの手記を書いても世の中の全てから拒絶され、ひとりの知友もできなければ、Aは自殺するでしょう。法廷で、私は彼に“生きろ”と伝えた人間ですから、その選択だけは避けてほしいと思っていますが…」(井垣氏)
当時、裁判でAの弁護団長を務めた野口善國弁護士も、手記を読んで、井垣氏と同じ感想を持っていた。
「正直、彼が出版した意図はわかりません。再発防止のためでも、遺族への謝罪のためだとも思えない。ただ、手記を読んでみて、彼は成長しているな、とは感じました。当時、彼は社会との結びつきを求めず、生きる意味も価値も見いだしていなかった。でも、この手記で、なんとかして社会とつながろうとしているのがわかりました」
ふたりの言葉は、Aが手記に書いた後書きに重なる。
《この十一年間、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころして生きてきました。(中略)でも僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。(中略)僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした》
※女性セブン2015年7月2日号