神戸連続児童殺傷事件(1997年)の犯人「少年A」の手記『絶歌』(太田出版)が6月11日に刊行された。出版関係者がこう語る。
「担当した落合美砂・取締役は、1990年代に『完全自殺マニュアル』という自殺法を解説した本を担当した編集者です。当時、その反社会性から散々叩かれたが、若者からバイブル視され、100万部を超すベストセラーになった。今回も“炎上商法”との見方がある」
そんな指摘が出るのも、同書が遺族に承諾はおろか、事前の通知もなく出版が強行された点にある。これに対し、落合氏はこう釈明している。
「私はこの手記全体が(中略)支えてくれた人にはお礼の手紙であり、遺族の方々にはお詫びの手紙として書かれたものだなという気がしました」(「弁護士ドットコム」6月13日配信)
手記のなかにある次のような表現を読んで、そうした感想を抱く人がどれだけいるだろうか。
〈(前略)全裸になった。手提げバッグの中のビニール袋を開き、淳君の頭部を取り出して脇に抱え、磨硝子(すりがらす)の二枚折戸を押し開け、風呂場に入り、戸を閉めると、そちらも内側からスライド式のロックをかけた。
この磨硝子の向こうで、僕は殺人よりも更に悍(おぞ)ましい行為に及んだ。
行為を終え、ふたたび折戸が開いた時、僕は喪心の極みにあった〉
文学的な表現を一生懸命使おうとしているが、同書にはこんな気分の悪くなるエログロ描写が続く。精神科医の町沢静夫氏がいう。
「手記というより自伝小説に近い。事実関係よりも“俺は単なる犯罪者じゃない”といった自分を誇示する文脈で生い立ちや犯行に至る経緯が書かれている。また、〈寂寥の谷〉や〈両価的(アンビバレンス)な想い〉〈翅〉といった難しい表現や漢字を頻繁に使い、三島由紀夫などの小説からも文章を引用するなど“俺はこんなに文章が書けるんだ”という虚栄心が強く見える」
臨床心理士の矢幡洋氏はこう分析する。
「『絶歌』というタイトル、淳君の頭部を学校正門前に置くシーンを描いた〈GOD LESS NIGHT〉という章タイトルなど、大仰で勿体ぶったフレーズが頻出します。この傾向は事件の時の犯行声明文と同じです。“自分の犯罪は凄いんだ”という自己顕示欲がいまも失われていないと分析できます」
関東医療少年院でAを担当した法務教官はかつて本誌取材にこう語っていた。
「Aに絵を描かせると、血だらけの天使を書いた。“自分は異常な人間である”とアピールすることで、自分を特別な存在と思わせる自己演出のひとつに見えた」
※週刊ポスト2015年7月3日号