「ガチンコの星」の突然の死は、角界に大きな衝撃を与えることになる。6月20日、音羽山親方(元大関・貴ノ浪)が、急性心不全のためこの世を去った。43歳という若さだった。
同部屋に若貴がいなければ横綱になれたといわれた逸材。ガチンコ力士として有名だった。角界関係者が語る。
「ガチンコの証拠としては、クンロク大関(*注)ではなく、関脇どころか平幕に陥落しても長く相撲を取り続けていたことが挙げられます。気さくで温厚な性格から仲間が多く、寡黙でカリスマ性のある1歳下の貴乃花をうまくフォローしていました。
【*注:一場所の成績が9勝6敗止まりの大関のこと。横綱に昇進するほどの力はないが、関脇に陥落しないように都合良く勝ち越しを続ける大関を揶揄する言葉として使われる】
引退後も若手親方を中心に貴乃花シンパを増やしていた。貴乃花親方が協会理事に立候補して、二所ノ関一門どころか角界全体を敵に回したときも、一門を超えて若手親方の票を切り崩したのが音羽山親方だったといわれています」
貴乃花親方にとって、同じ先代・二子山親方(元大関・貴ノ花)の愛弟子として、身近に残った最後の盟友だった。もう一人の強力なサポート役は大嶽親方(元関脇・貴闘力)だったが、野球賭博問題で廃業。指導方針で確執が生じた高田川親方(元関脇・安芸乃島)とも袂を分かった。
現在の貴乃花部屋に所属している部屋付き親方は、常盤山(元小結・隆三杉)と西岩(元前頭・光法)だが、隆三杉は貴乃花が育った旧藤島部屋ではなく二子山部屋出身だし、光法は宮城野部屋から移籍した“外様”だ。
「音羽山親方が部屋付きとして指導に当たっていたから、貴乃花親方は安心して将来の理事長候補として協会の仕事に集中できていた。心腹の参謀を失った貴乃花親方には、非常に大きな痛手です」(同前)
※週刊ポスト2015年7月10日号