ブライダルファッションデザイナー歴50周年を迎えた桂由美さん。これまで数多くの著名人のブライダルファッションを手がけた桂さんだが、ご自身の結婚についてはあまり語ってこなかった。果たしてどんな馴れ初めや結婚生活だったのだろうか。
* * *
多くのカップルの結婚式をお手伝いしてきましたが、私自身の結婚は42才の時。お見合いで出会った、元大蔵省(現財務省)官僚の結城義人を生涯のパートナーに選びました。彼は当時53才。披露宴での、「売れ残り同士、仲よくやります」という彼のあいさつは笑いを誘い、マスコミで大々的に取り上げられました。
私は、ブライダルファッションデザイナーを一生続けていく覚悟でしたから、結婚後も仕事を許してくれることが相手に望んだ条件でした。しかも、私の仕事に口出ししない人であってほしかった。それに、違う畑で活躍して、それが尊敬できるものであってほしいとも考えていました。
一方で、私自身の根はとても古風とよく言われます。時代劇で、武士の夫が帰宅した時、妻が刀を押し抱くように受け取るシーンがよくありますが、「なんて素敵!」と、あんな夫婦像にあこがれていたのです。
でも、そういうことを好みそうな男性の多くは、専業主婦を望みます。しかも、結婚適齢期だった20代は、母が経営していた洋裁学校を手伝うのと、自分の夢であるブライダル事業の二足のわらじで、目が回るほどの忙しさ。あっという間に時間が過ぎ去ってしまいました。
しかし、40代になって仕事が軌道に乗り、残りの人生を共にする相手がほしくなりました。それで見合いを始め、3人目に出会ったのが、彼でした。
彼はかつて大蔵省造幣局長まで務めた人でしたが、役人らしからぬユーモアにあふれた人で、私は37人目の見合い相手だったそうです。彼は「母との同居を条件にすると、断られるんだ」と笑っていましたが、私にとってはお姑さんとの同居は当然のこと。そこも私の古風なところなのでしょうか。
そんなこんなで、初対面で意気投合しました。そして、出会って3か月後のデートの時、「20年早く会いたかった」とプロポーズされ、結婚を決めました。
私たちの結婚は、超晩婚同士であることと、その斬新な披露宴で注目を集めました。彼の招待客は、多忙な政治家や役人が多かったので、好きな時に来てすぐ帰れるようにと、官庁に近い帝国ホテル(東京・千代田区)で。しかも立食式にしました。
立会人も司会もなし。花だけは豪華にと、1万本のバラやアカシアなどで彩りましたが、ほかはすべて私と主人で取り仕切り、ゲストが気兼ねなく過ごせるようにと趣向を凝らしました。そんな異例づくしの披露宴だったのです。
彼が1990年に71才で亡くなるまでの結婚生活は、安らぎに満ちたものでした。彼は私の仕事を応援も、尊重もしてくれましたし、私も60才にして司法試験を受けて弁護士になった彼を、心の底から尊敬していました。
互いに仕事をしてきたからこそ、苦労や苦悩が共感でき、気兼ねなく相談しあえる。相手を敬愛すること――これこそ夫婦関係の礎になると実感する18年でした。
※女性セブン2015年7月16日号