6月20日、土曜日の昼。朝から強い日差しが照りつける中、閑静な京都・伏見の住宅街に2300人という長蛇の列ができた。お目当ては、マンション造成地で発見された「幻の城」といわれる初代伏見城の遺構である。
伏見城は豊臣秀吉と徳川家康によって3度築城されているが、今回発見されたのは指月城と呼ばれる初代の城。秀吉が隠居屋敷として1592年から建設したが、完成後まもなく地震で倒壊。文献資料が乏しいことからその存在を疑う説もあり、「幻の城」といわれてきた。
発掘現場があるのは以前から指月城の中心部と推定されていた地域。文化財保護法にもとづき、マンション建設に先立つ4月に調査が始められると、わずか1週間後に石垣部分が現われた。
約600平方メートルの敷地には掘り出された石垣が南北36メートルに延び、その高さは1メートルほど。この石垣に平行して5~7メートル幅の堀が発掘され、そこから金箔を施した瓦や土器、陶磁器類が100点以上出土した。発掘調査の責任者である京都平安文化財の小森俊寛氏が解説する。
「この遺構を指月城と関連付ける理由は、豊臣家の家紋や天皇家の菊の文様が入った瓦が見つかったこと。また石垣には1辺1メートルを超える自然石と細かい石を組み合わせて安定させる穴太積みという技法が用いられていることがわかりました。
これは秀吉の政庁兼邸宅だった聚楽第と同じ構造です。今回発掘された石垣は本丸西側の一部と見られます」
今後は未着手の100平方メートルを掘るなどして7月末に調査を終了。遺構の保存が必要かどうかなどはこれから協議される。奇しくも今年は豊臣家滅亡から400年目。太閤さんの不思議な力で、さらに驚くべき発見があるかもしれない。
撮影■WEST
※週刊ポスト2015年7月10日号