毛沢東に対する神格化が招いたとの説もある文化大革命への反省から、中国共産党は個人崇拝を禁じてきた。だが現在、権力集中に成功した習近平国家主席への個人崇拝が進んでいる。ノンフィクションライターの安田峰俊氏が、習近平主席にまつわる「聖地」を訪れた体験を語る。
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「1969年1月。14歳の習近平同志は、他の14人の青年とともに、北京から我が村にいらっしゃいました。当時、来村した青年たちは夜になると故郷を懐かしみ、涙を流したものです。しかし、習同志は一度もお泣きになりませんでした」
スタッフの女性が、若き日の習近平の写真を指さし、観光客に向けて声を張り上げる。ここは陝西省延川県の梁家河村「村史記念館」だ。
文革当時、中国の都市部の若者は「知青(ヂーチン、知識青年)」と呼ばれ、毛沢東の指示で国内各地の農村に送り込まれた(「下放(シャーファン)」という)。若き日の習近平はこの梁家河村に下放され、7年にわたり暮らしている。村はかつて、人口300人足らず。中国のどこにでもある寒村だったという。だが、習政権の成立で運命が一変した。現地の旅行会社社員・張氏はこう話す。
「2012年に習主席が党総書記に就任なさった前後から、村の観光地化計画がスタート。建物が新しくなり、道路も舗装されました。現在は、党の幹部学校の研修生や公安・軍隊の関係者などを中心に、年間10万人の観光客を集めています。近隣都市の延安市内から村の入り口に延びる全長115kmの高速道路も、急ピッチで建設中です」
結果、村には土産物屋や食堂が多数オープンし、村人の雇用も確保された。前述の記念館(事実上の「習近平記念館」)も、こうした経緯で建てられたという。 「習同志は18歳で、わが村の共産党支部の書記に就任なさいました。同志は荒れ山に木を植えて緑化事業を推進し、村の水利事業にも卓越した手腕を発揮なさり」
館内では歯の浮くようなセリフの説明が続く。辟易(へきえき)した私は村を見て回ることにした。