【書評】『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』永栄潔著/草思社/1800円+税
【評者】坪内祐三(評論家)
『東京人』を退職し、フリーの編集者となった私は一九九二年春から朝日新聞社の出版局に出入りし、仕事をしたのだが、その時印象的だったのは、そこで働いていた朝日の人たちが、私のイメージしていたいわゆる「朝日人」ではなかったことだ。新聞社の方はそうだったのかもしれないが、戦後民主主義的左翼ではなかったのだ(もちろんそういう人もいたけれども)。その筆頭がこの本の著者、永栄潔さんだった。
左翼でないなら右翼かというと、そうではない。要するにラディカル、過激な人だったのだ。ある支局に異動した時、その支局長からのちにこのように回想されたという。「お前、自分がどう見られているか、知ってるか?」。「狂犬。破壊分子。極左で極右。気違い……これがいちばん多いな」。
そのラディカルは色々な所で発揮される。
堤清二をインタビューした時、堤氏が『変革の透視図』で自動寿司にぎり機を批判しているのに対して反論した。「その途端、堤さんのこめかみがピクッとし、青筋が浮いた。青白い顔がさらに白くなった」。永栄氏が帰ったあと、堤清二は「荒れ、テーブルにあったガラスの灰皿が砕け散った」という。
それ以外にも石原慎太郎やソニーの盛田昭夫夫人らとの面白いエピソードが盛りだくさんだが、スクープといえる記述もある。
中でも驚いたのは、一九六〇年代から七〇年代にかけて河合秀和や坂本義和、高畠通敏ら小壮の政治学者が朝日のデスクたちにレクチュアーする「二木会」と称する会合が開かれていたことだ。つまりこの時にいわゆる朝日的論調が作りあげられていったのだ。
『WiLL』や『正論』といったタカ派雑誌が永栄氏のロングインタビューを載せているのが印象に残るが、その『WiLL』の最新号の堤堯と久保絋之の連載対談でゲストの石井英夫がこの本をホメた時の堤堯の対応を本書の二百頁と読み比べてみれば堤堯がいかに小人物であるかがわかり痛快だ。
※週刊ポスト2015年7月10日号