朴槿恵(パク・クネ)大統領が選挙を制した2012年12月19日の夜、ソウルでは年配者の多い保守層の支持者は安堵し、革新を志向する若者たちは目に涙を浮かべ悔しがった。一方、東京の盛り場ではこんな光景も見られた。
「赤坂の韓国クラブに行くと、ママたちはホッとした表情だった。この年の8月に李明博(イ・ミョンバク)前大統領が竹島を訪れて以来、日本人の反韓気運が高まって、明らかに客足が減っていましたから」(韓国民団幹部)
朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の娘なら、きっと日本と上手くやってくれるだろう。当時、日韓両国でこうした期待が少なからず存在していた。
朴正煕氏といえば、1965年の日韓国交正常化の立役者だ。その際、日本から得た計8億ドル以上の供与を契機にして、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる発展を遂げる。朴正煕のカウンターパートは岸信介元首相。ご存じ、安倍晋三首相の祖父だ。表の外交から在日人脈を使った裏交渉まで、陰に陽に日本と接触を持った父の背中を娘も見てきたはずだ。
元大手新聞のソウル支局員は、「日本と交流を持ってきた父の影響もあって、小さい頃から日本の雑誌を手にとってきた。若い頃は、『an-an』『non-no』を愛読していたという話もあります」と語る。『an-an』『non-no』の創刊は、それぞれ1970年、1971年。当時、10代後半の朴槿恵氏は、こうした雑誌を手に取って、日本の流行に親しんでいたのだろうか。
※SAPIO2015年8月号