【話題の著者に訊きました】『中年だって生きている』/酒井順子著/集英社/1404円
〈人生七十年時代には考えられなかった、長い生乾き時代を生きなくてはならないからこその苦悩やジタバタを、今ここに…〉と綴る酒井さんの日常生活から「中年期」を考察する。同世代である学生時代からの友人たちや皇太子妃雅子さま、はたまた「若い女」である小保方晴子さんまで俎上に載せて、中年について愛をもって辛辣に綴る15編。「年上のかたがたからは『あ、酒井さん、今そこなんだ』という感想ももらいます。まだ先は大変なんだ、って(笑い)」
ベストセラーの『負け犬の遠吠え』をはじめ、「同世代を書き続けて32年」になる酒井さん。今回取り上げたのは「中年」である。美人にも、そうでない人にも等しく中年期は訪れる。体は変化するが、若くも年寄りでもなくどこか宙ぶらりんな実態を、ユーモラスに、ときにぐさりとくる言葉で描き出す。
たとえば、ファッションにも体重にも気を遣い、「中年ではあるがおばさんではない」と思っている「我々」の存在について書いたあとは、「(そう)信じている女性は、新種の生き物として日本では珍しがられているのでした」と続く。
「この本を読んだ同世代の女性で、『自分はおばさんなんだと思ってショックを受けた』と言う人がいて、『まだ思ってなかったんだ!』とびっくりしました。人によって、年齢のとらえかたはさまざまだということがわかりましたね」
酒井さん自身には、若いときから「この年齢は自分には若すぎる」という思いがいつもあり、40代後半になって「気分年齢に実年齢がようやく追いついてきた昨今です」と言う。年齢は、先取りして考えるほうだ。
「30代になったときはとくに何も思わず、35才になって『四捨五入すると40か』とびっくりして書いたのが『負け犬~』でした。40代もなかばになり、50代が見えはじめ、老いや死も視野に入ってきたところで書き始めたのがこの本なんです」
共感と毒が絶妙のバランスで配されている。自分と同世代を上空から見るのは「なかば習い性」になっているそうだが、「眺めている集団の中には、いつも自分もいます」。だから、「上から目線」で何か言われたという気持ちに決してならないのだろう。
酒井さんの周りで反響が大きかったのは「親旅」の章。若い頃は自分が遊ぶのに忙しかったバブル世代だが、中年になって親孝行のつもりで親を旅行に連れて行き、ペースの違いにイライラ、ぐったり、というのは思った以上に経験のあることらしい。
「『もう二度としたくない』とか、みなさん苦労してらっしゃることがよくわかりました」
「若い頃にチヤホヤ慣れした女性達の心身には、中年期にぶち当たる『チヤホヤの激減』という現実が、深刻な打撃を与えているのではないか」と指摘する「チヤホヤ」の章は、ぜひ男性にも読んでほしい。
「みえすいたお世辞でも、言われるとうれしいもの。男の人だってそうですよね。『チヤホヤ』を求めて右往左往する同世代の女性をけっこう見ているので、花には水を、女には『チヤホヤ』を、と思いますね」
(取材・文/佐久間文子)
※女性セブン2015年7月23日号