プロ野球で投手に打順が回ってくると代打が出て投手交代が今では当たり前。しかし、かつては投手も打者の一人だったと巨人V9時代を支えた巨人のエース、400勝投手の金田正一氏、「エースのジョー」と呼ばれた城之内邦雄氏、そして栄光の18番を背負った堀内恒夫氏は口をそろえる。V9スタートから50年目の節目に『巨人V9の真実』(小学館)が刊行されるのを記念したエース3人による座談会から、打者としての投手の当時の活躍ぶりを振り返る。
城之内邦雄(以下、城之内):しかも好投手から打っていたよね。江夏(豊)を得意にしていたのは大きかったと思う。(金田と堀内を見て)そういえば2人は打撃も良かったよね。
金田正一(以下、金田):ワシは巨人では打つほうの武勇伝が多いからな(笑い)。大洋戦で9回に代打で出て、相手のノーヒットノーランを阻止したことがあるぞ(と胸を張る)。
城之内:僕も後楽園での阪神戦で、村山(実)さんからホームランを打って2-0で勝ったことがある。でも生涯で3本しか打てなかった。カネさんは代打で2本打っているし、国鉄時代を含めると投手で歴代1位でしょう(通算38本)。
金田:敬遠も8回されたぞ。8回目は巨人時代、代打で出て敬遠された(1967年の中日戦)。ホリ(堀内恒夫)も打撃は良かったが(通算21本で歴代5位)、敬遠はないだろう。
堀内恒夫:敬遠はないけど、江夏から18球粘ったことはありますよ。アイツの球がバットにまともに当たらなかったからではあるけど。最終的には四球でしたね。
城之内:昔は投手も、打者の1人だという思いが強かったもんね。
※週刊ポスト2015年7月17・24日号