行き過ぎた「反日」を改める声が韓国内からも出ている韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領だが、表面上その行動は窺えない。なぜ、そこまで日本に敵意を示すのか。
産経新聞の元ソウル支局長・黒田勝弘氏は、1980年代当時、産経ソウル支局と同じビルに朴氏の事務所があった関係で、幾度も顔を合わせていたという。
「1980年代前半に彼女を招いてホテルの日本料理店で会食をしたことがありました。彼女との会話は韓国語でしたが、ある程度の日本語は理解している様子でした。
社交的な女性ですから、微妙な話はスマイルで避けてましたが、決して日本を批判したり、過去に触れることはなかった。1980年代に日本の財団の招待で、1週間ほど京都などを旅行していたこともあります。
政界入りしてからは(1998年~)、韓国の国会議事堂の近くの日本料理が行きつけで、よく日本蕎麦を注文していましたね。本音は日本を好きなはずです。彼女は、大統領という立場上、反日を唱えているに過ぎません」(黒田氏)
大統領就任にあたって朴氏は、李明博(イ・ミョンバク)前大統領の強硬反日路線(*注)を踏襲した。
【*注/李明博政権は、発足当初こそ建設的な日韓外交を志したが、国内政策の失敗によって求心力が低下した政権末期に強硬な反日路線に転換。2012年8月には竹島に上陸し、日韓関係は暗転した】
朴氏が慰安婦問題において盛んに発信するのも、慰安婦問題の解決に向けて行動しなければならない法的義務を負うからだ。李明博時代の2011年、韓国の憲法裁判所は元従軍慰安婦たちが起こした憲法訴訟において、慰安婦問題の解決に向けて韓国政府が動こうとしない「不作為」は違憲である、との判断を下した。
「歴史認識問題等に断固として対処する」。朴氏は就任直後から対日姿勢の原則として掲げる。その姿勢は、過去の発言とはまるで異なる。
おそらく朴氏は、父の代弁者として生きることの限界を悟ったのだろう。亡き父の復権を果たそうと努めた朴氏の前半生だったが、父・朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領も懐かしまれるだけの存在になりつつある。若年層を中心に、あの時代から形成された既得権益層への批判も根強い。
父に倣って行動することも、前政権の縛りから抜け出すことも今の朴氏からは想像できない。父が暗殺された上、「親日」の烙印を押されれたことなど、数多の悲劇が育んだ警戒心は、政治家としての「頑迷さ」となり、日韓関係に深刻な影を落としている。
※SAPIO2015年8月号