この日ほど、世界中のゲーム愛好家が「リセットボタン」を押したいと思った日があっただろうか。7月11日、任天堂の岩田聡・社長が胆管腫瘍のため死去した。享年55。
昨年から体調不良を理由に、主要な国際イベントを欠席するなどして心配されていた。ただ今年3月のソーシャルゲーム大手のディー・エヌ・エーと資本・業務提携を発表した会見や、6月の株主総会には姿を現わし、関係者を安堵させていた。その矢先の訃報だった。
岩田氏は1959年、北海道生まれ。高校生の頃から天才プログラマーとして、業界にその名を轟かせた。
東工大を卒業後、当時はまだマイナー産業だったゲーム業界に飛び込む。ゲーム制作会社のHAL研究所に入社、『星のカービィ』シリーズなど、のちの任天堂の基幹となるヒットゲームの開発を手掛けた。
その実績を買われ、2000年、前社長の山内溥氏(故人)に任天堂に招聘される。42歳の若さで社長に就任したのが2002年のことだ。
「山内氏は社内に有力な後継候補がいたにもかかわらず、斬新なゲームを相次いで開発した岩田氏の異能に惚れ込み、任天堂の舵取りを任せた。
その期待に応え、携帯ゲーム機『ニンテンドーDS』や家庭用ゲーム機『Wii(ウィー)』を相次いで発売し、どちらも大ヒットさせました」(神戸大学経済経営研究所フェローで経営評論家の長田貴仁氏)
任天堂関係者によれば、最近では珍しいほどの職人気質の人物だったという。
「滅多に外で飲み歩くことがない仕事一筋な人。インタビュー取材もほとんど受けないので、記者泣かせの経営者でした。時間があれば家でゲームをして、次の策を練る。クリエイターでもありましたが、何よりゲームが大好きな人でした」
※週刊ポスト2015年7月31日号