大相撲名古屋場所が賑わいを見せている。その要因の一つが、外国人力士の活躍だ。中でも、100年にひとりの怪物とまで称されるモンゴル出身の逸ノ城(22才)は注目の的だ。14才で来日して相撲界に入った彼はどんな思いを抱えていたのか。逸ノ城が語る。
「14才で、飛行機に乗るのも初めて。日本に着いて初めて食べたのは牛丼。日本には魚しかないと思っていたので、こんなにおいしいものがあるんだと驚いて、3杯おかわりしました。でも、モンゴルでは箸を使わないので、使い方がわからなかった。
『日本ではなんでも箸で食べる』と親戚に聞いていたけれど、あんなに小さな米粒をどうやって食べるのかと信じていなかったけど、本当だった! 最初はナイフとフォークのように片手に1本ずつ持って、かきこみました」(逸ノ城、以下「」同)
遊牧民の食事は肉や乳製品ばかり。そんな彼に、納豆の洗礼はきつかったという。ある日、監督から大きなボウルに入った、納豆とたまねぎを混ぜたものを出された。臭い、ねばねばしてあちこちにくっついてくる、初めて見る食べ物だった。
「“オエーッ”と思ったけど、監督から『強くなりたくて、日本へ来たんだろう!』と叱られた。そのひとことでハッと目覚めました。今では好物ですよ。でも、大変だったのは食事だけじゃない。最初の1か月は日本に来たことを激しく後悔しました」
練習量はモンゴル時代の柔道より多くて厳しかった。それに加えて、1年生は食事の用意や掃除、洗濯とやることがたくさんあって休む暇はない…毎日、モンゴルを思っては「帰りたい」と願う日々だった。
「2~3か月すると日本での生活に慣れてきて楽しくなった。でも、その頃に電話でお母さんの声を聞いたら、またホームシックになっちゃった。
立ち直るのに3~4日かかりましたよ。それでも、電話で『帰りたい』と泣いたことはなかったです。日本に来る前に親戚や村の人がパーティーをしてくれて、餞別をもらった。逃げて帰ったら、恥ずかしくてみんなの顔を見られないですから。高校進学のために日本に来たのに、村の人からは『絶対にテレビに映るようになるんだよ』と応援されて、プロになるまでもうやるしかないと、いい意味でのプレッシャーでしたね」
※女性セブン2015年7月30日・8月6日号