攻める時は雄弁になる。それが安倍晋三・総理大臣のスタイルだった。「憲法解釈の最高責任者は私だ」「支持率のために政治をやっていない」──安保法制審議の中でも強気の発言を繰り返してきた。
雄弁な総理と対照的に、黙々と国民のため、平和のための祈りを続けてきたのが今上天皇である。その天皇がついに「お言葉」を発する──安倍首相があれだけ入れ込んでいた戦後70年談話の格下げ(閣議決定をしない=私的談話となる方針が明らかになった)に動き始めたのは、沈黙を破って発される「お言葉」の重みが、政権を揺るがすことを怖れているからではないか。
天皇は毎年8月15日に全国戦没者追悼式に出席し、「お言葉」を述べる。この20年近くは、例年、文面もほぼ決まっている。
〈ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります〉
だが、官邸が気にしているのは、安倍首相が歴史認識の転換を行なう内容の70年談話を出した場合、全国戦没者追悼式とは別に、天皇の特別な「戦後70年のお言葉」が発表されるという情報が流れたことだ。自民党幹部が語る。
「終戦記念日に陛下が先の大戦についてメッセージをお出しになるのではないかという情報は5月頃から流れている。陛下は先帝(昭和天皇)から、先の大戦で軍部の独走を阻止できなかった無念の思いや多大な戦死者と民間人犠牲者を出したことへのつらいお気持ちを受け継がれている。万が一、お言葉の中で首相談話から省いたアジア諸国の戦争被害に対する思いが述べられれば、安倍首相は国際的、国内的に体面を失うだけでは済まない」
安倍首相は戦後70年談話で日本の針路を変えるために、ブレーンの学者を集めた有識者懇談会でその内容を検討させてきた。
(閣議決定された)村山談話、小泉談話は、かつての戦争を「植民地支配と侵略」と定義し、アジア諸国への「心からのお詫び」という言葉が盛り込まれた。それに対して安倍首相は「侵略戦争は国際的な定義として確立されていない」「A級戦犯は国内法的にいわゆる戦争犯罪人ではない」(2013年、2006年の国会答弁)と従来の政府の戦争認識に批判的な歴史観を持ち、安倍談話では「侵略」や「お詫び」を“NGワード”とする考えを示唆してきた。
そこに安倍談話と真逆の「天皇談話」が出されれば、国際的には「日本の国家元首のステートメント」として、首相の“私的談話”より上位の声明とみなされる。
※週刊ポスト2015年8月7日号