8000人超が犠牲になったマグニチュード7.8のネパール大地震。3か月たった今も、多くの人が、被災した家屋で生活を続けている。発生後すぐに緊急援助隊員の一員として医療活動を行った医師の湯澤紘子さん(32才)が、現地での体験談を語る。
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医学生時代に話を聞いたJICAの活動には以前から興味がありました。救急医となった今、少しでも自分が役に立てることがあるかもしれないと思って参加しました。今回が初めての活動でした。患者さんの予後を少しでも良くしたい、少しでも震災後の心身の負担を軽くしたいという明快な目標があったから、チーム一丸となって柔軟な医療援助ができたと思います。
チームには医師が8人いて、私は外来診療の担当でした。現地の学校に平屋建てコンクリートの建物があって、その部屋の3つを診察室、処置室、入院室に分けて使いました。
昼は随分暑く、熱中症にならぬようミネラルウオーターに粉末状のポカリスエットを入れて隊員たちは飲み、お互い休憩を取るよう声を掛け合って活動をしていました。風通しの良い場所を選んで診察テーブルを配置するなど工夫をしました。
裸足で3~4時間山を下って来られる患者さん、10時間かけて担がれて来た患者さん、泥だらけでやって来る患者さん…みなさん家が全壊していました。重症者も時に訪れ、痙攣で運ばれてきた7才の女の子がいました。一般的な病院であれば、酸素投与をして、痙攣を止める薬を与えられるのですが、その時はまだ設備が整っていなかったため、予防薬しか投与できませんでした。
お母さんは泣きながらうろたえていて「呪われているんじゃないか」とお祓いを始めました。大きな発作は収まりましたが、女の子の意識状態の悪いことが両親を不安にさせていました。言葉が通じないので安心させてあげることもできず、つらかったですね。
約2週間の活動を終えて、私たちは帰国しました。初めて緊急援助に携わって、継続支援の大切さを痛感しました。患者さんは、次のチームに引き継ぎます。私がその患者さんを診ることはもうありません。患者さんたちは元気でやっているのか。今もテント生活が続いているのか。地震の前の暮らしや健康状態に戻って初めて治療を終えたといえると思うんです。自分たちの活動期間の活動実績や得た情報がその先のネパールの支援へ少しでもつながればと思います。
※女性セブン2015年8月13日号