世の中、「下流老人」「老後破産」流行りのようだ。テレビ、書籍、雑誌の特集が、「下流老人は死亡率3倍、うつ5倍」などと定年前後の世代の不安を煽り立てる。しかし、である。ようやく定年世代は誰はばかることなく欲するところを実行する時間と権利を得たのである。
むしろ老人になったいまこそ、不健康で不健全な生活を謳歌するがよかろう。シニア世代よ、これまで仕事や家族のためにできなかった「不良」な生き方を、してみようではないか。作家・筒井康隆氏が特別寄稿した。
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そもそもちょっとした悪事などはすべて人間の本質に根ざしている。福沢諭吉翁の言葉だの印欧語の語源であるサンスクリット語などから考察し、小生の頭にはこんな方程式がある。
善=偽善 偽善=悪
または
悪=真 真=善
と、いったものであるが、これについては九月七日発売の「新潮」十月号に一挙掲載される最新長篇「モナドの領域」をお読みいただきたい。
但し、いかに悪とは言ってもせいぜいが不良的行為に過ぎないのであるから、人殺しなどは問題外であろう。これはたとえ事故であっても許されないことだ。困るのは例えばいつまでも車を運転していたい老人など、過失致死につながるような行為をやめようとしない老人である。
こういう人は誰かに運転してもらって波止場など人のいない広い場所まで行き、自分ひとりで思う存分車を走らせればよろしい。たとえ岸壁から落ちて溺死しても、家族は悲しみに泣くだろうが、一方では老人ホームへ入れる金が不要になるから泣いて喜ぶに違いない。
勿論、老人は早死にした方がいいなどと言っているのではない。生物の使命はできるだけ長生きすることだ。たとえ捕食される運命の小動物だって、生き延びる個体数が多ければそれだけ子孫も増える。
それにしても最近の老人は善良な人ばかりに思えてならない。不良老人や、特に昔よくいた、長谷川町子の漫画のような意地悪婆さんはどこへ行ってしまったのだろう。不良老人や意地悪婆さんであれば、振込め詐欺などに騙されたりはしない筈である。逆に老人であることを口実にして家へ金を取りに来させ、引っ捕らえればよい。腕力で負けそうだというなら包丁で突き殺してもよいし、警官に頼んで待機してもらえばいいのである。
老人ならみな知っていることだろう。昔は条例の数は僅かであった。ところが世の中が平和になるにつれて条例の数がどんどん増えはじめた。これは逆ではないのか。われわれ不良老人にとって住みにくい世の中になってきた。
だからこそ今、老人の反骨精神が必要になってきている。老人よすべからく不良たるべし。これが小生のすべての老人に向けた最終的なメッセージである。
※週刊ポスト2015年8月21・28日号