幸せな運命に導く“名古屋の神様”と呼ばれる女性がいる。彼女の名前は、沖紘子さん。愛知県名古屋市を拠点に、もう50年近く、芸能界をはじめ政財界の著名人の間で「霊能者」として知られる存在だ。松田聖子(53才)がデビューと同時に大ブレークした1980年、 “松田聖子の名付け親”として、沖さんの名前は一気に全国区になったこともある。
愛知県・知多半島で生まれた沖さんは、日本でも有数の霊場といわれる鞍馬山で修行中に倒れた祖父の霊能力を色濃く受け継いだようで、地元で有名な不思議な子供だった。
「幼い頃から、神様の言葉が聞こえたり、他人の前世が見えたり、という、いわゆる霊能力がありました。おしゃべりを始めたくらいなので、5才くらいだったでしょうか。学校に通うようになってからは、例えば授業中に“あ、今家で何か起こっている”と嫌な予感がしていると、ちょうど家が火事になったという連絡が入ったということもありました。
隣のおじさんが事故に遭うということを言ってその通りになったこともありました。周りからも不思議な子供だと思われていたようで、噂が広まって、テレビ出演することもありました」(沖さん・以下「」内同)
20代以降は、商社や広告代理店、芸能事務所で働くかたわら、著名人の相談事にのっていた。そんなつながりから、芸能人に芸名をつけてもらえないかと頼まれることが多くなったという。
「芸名は、子供に名前をつけることと同じです。親は子供が生まれたとき、その子にどんな生き方をしてほしいか、あるいは自分では叶えられなかった夢を込めたり、いろんな思いを託して名前をつけます。それで画数をみながら姓名判断をしていきますが、手順はそれと同じです」
芸名をつけるときは、プロダクションの社長やマネジャーとの相性を名前と生年月日などでみた上で、プロダクション側の要望・条件、例えば「レコード大賞で新人賞を取らせたい」「○年は第一線で活躍してほしい」「大ブレークしなくてもいいけど、60才まではこの世界で食べていける仕事がコンスタントにある」などを、全部ふまえて命名するという。
「『松田聖子』の場合は、“山口百恵を超えるように”という要望でした。でもまだ女子高生だった本名『蒲池法子』は、福岡のごく一般的な家庭に生まれた、普通の女の子でしたから、すごく悩みましたね。山口百恵を超える生命力のある名前をつけることは簡単ではありませんでした。1か月くらい悩んで、最終的に当時、事務所のサンミュージックの社長だった相澤秀禎会長(享年83)のエネルギーを借りて、『松田聖子』という名前をつけました」
当時を知るサンミュージック関係者によると、このとき沖さんに渡したのは聖子自身が撮影した、彼女の写真1枚。名前と生年月日以外は、何の情報も伝えていなかった。しかし沖さんはぱっと見て、聖子が当時ミッション系のスクールに通っているとわかったという。
また相澤会長には、「宇宙」「天地」「太陽」「水」「川」といったパワーが秘められていることもみえていた。
それらのことから、幸運を導く画数にあう名前を考え、最終的に相澤会長の「地」のエネルギーにつながる松田の「田」、聖子の「聖」にたどりついたという。
「『蒲池法子』という名前を捨て、新たに相澤会長という親のもと、『松田聖子』という新しい生命を生み出したのです。名前をつけたときに、人間は変わるんです。持っている運命も、生命力も」
“山口百恵を超える”との願いで名付けられた松田聖子という名前。今年デビュー35周年を迎えた彼女は、芸能界で、他の追随を許さない唯一無二の存在であることはいうまでもない。数々のスキャンダルも彼女を輝かせる飾りにしかならないほどだ。
※女性セブン2015年8月20・27日号