空襲が毎日のように続いた戦争末期。それでもそこには日々の変らぬ暮しがあったし、秘められた恋さえあった。脚本家として活躍している荒井晴彦が監督した「この国の空」は、空襲下に生きる若い女性を主人公に、非日常のなかの静かな日常をとらえてゆく。原作は高井有一。戦争を描いた映画はあまたあるが、こういう戦時下の日常を、それも女性の視点でとらえた作品は珍しい。
昭和二十年。東京の西、杉並区の住宅地に里子(二階堂ふみ)は、母親(工藤夕貴)と暮している。父親は亡くなった。里子は町会事務所で働いている。三月十日の東京大空襲で下町が壊滅した。山の手でも空襲が始まっている。防空壕を作る。窓ガラスに紙を張る。庭で野菜を育てる。郊外住宅地の暮しのなかに、戦争が入り込んでいる。
町では、疎開者が増え、住民が減っている。若い男はとうに兵隊に取られている。残された住人が言う。「町が静かになった」。学童疎開によって子供がいなくなったから、町が静かだという。町の静けさと、頻繁に、空をおおうB29の轟音。あの時代の東京は、突然の休暇のような静けさと、爆撃の恐怖の音が隣り合っていたのだと分かる。
横浜で焼け出された里子の叔母(富田靖子)が、一緒に暮すようになる。食料のない時、招かれざる客である。身近かな人間関係にもひびが入ってくる。
食事をする場面が多い。三人が粗末な食卓を囲む。空襲があろうが、国が亡ぼうとしようが、今日を、明日を生き抜くためには、ともかく食べなくてはならない。決して楽しい食事ではない。三人は生きているのが申訳ないというかのように黙々と食事をする。
里子の家の隣りには、銀行員(長谷川博己)が住んでいる。妻子は田舎に疎開させた。里子は、その一人暮しの中年男に惹かれてゆく。平時なら恋なのかもしれない。しかし、空襲下では、恋というより、生きるための必死の抗いだろう。里子は火照った身体を中年男にぶつけてゆく。戦争があるからこその女の目ざめに里子は身をまかせる。男たちが始めた戦争のことなんか知るもんか。
そしてある日、突然、戦争が終る。そのあとにいったいどんな暮しが待っているのか。 軍人でもない。政治家でもない。兵隊でもない。あの時代に青春を生きた一人の女性に焦点を当てた。実に新鮮。
文/川本三郎
※SAPIO2015年9月号