米兵相手のパンパン・ガールや赤線、ノーパン喫茶など、戦後の性風俗は隆盛と衰退が繰り返されてきたが、その中でいまだ現役なのがストリップだ。1947年に始まるストリップの歴史の中で最も有名な踊り子となったのが一条さゆりだった。彼女はわいせつ裁判を通じて全共闘世代のアイドルとなった。
一条さゆりは1929年生まれで、売春婦やホステスを経てストリップの世界に飛び込んだ。1971年に駒田信二が実録小説『一条さゆりの性』(講談社)を出版したことで一躍スポットライトが当たる。人気深夜番組『11PM』のレギュラーや、日活ロマンポルノ『一条さゆり 濡れた欲情』に出演するなど大いに活躍した。
彼女のストリップは、性器を露出する「特出し」、さらにはロウソクショーなど過激な演出が特色だった。ストリップ史を振りかえると、日本初の公演は戦後間もない1947年の新宿帝都座の「額縁ショー」だといわれている。全裸の女性が佇むだけのショーだったが、男性客は大いに興奮した。
その後、ストリップは隆盛期を迎える。日劇ミュージックホールや浅草のフランス座などは連日満員。ジプシー・ローズらスターストリッパーが誕生した。そんな中、関西を中心に人気を得たのが一条さゆりだった。彼女は、実に9度にわたって公然わいせつ罪で検挙されながらもステージに上がり続けた。そのしたたかな生き様は「反権力」のシンボルとして新左翼やウーマンリブの運動家から賛美された。
彼女の引退公演は1972年、大阪で行なわれた。このラスト興行が10度目の検挙。「ストリップは大衆娯楽、猥褻にはあたらない」と最高裁まで争ったが、実刑判決が確定して服役。出所後はトラブルを繰り返し、1997年、肝硬変により死去。68歳だった。
※週刊ポスト2015年8月21・28日号