夏といえばやっぱり水着、それもビキニだ。とはいえ、私たちはどれだけビキニのことを知っているのだろうか。
そもそもの由来は、1946年7月、フランスのデザイナーであるルイ・レアールが、セパレーツ型の大胆な水着を発表。当時、アメリカはマーシャル諸島のビキニ環礁で、第二次世界大戦後初の原爆実験を行なっていた。原爆の破壊力に喩え、その水着はビキニと命名されたのだ。
その後、ビキニは大流行。いまや“水着といえばビキニ”が当たり前の時代になっているわけだが、日本で定着し始めたのはいつ頃のことなのだろうか。『三愛水着の歴史』の編集人である永島和祥氏に話を聞いた。
「戦後すぐビキニは輸入され、販売されていましたが、日本では全く浸透しませんでした。まず、機能的な問題がありました。1950年代までの水着は、水を含むと重くなり、下にズレてしまう。そのため、落ちないように肩紐で吊るワンピースのデザインが主流。水着はファッション性よりも、機能性が重視されていたのです。
そうしたなか、1964年に伸び縮みするポリウレタン素材の入った水着が登場します。これによって、上下に分かれるセパレーツ型の需要が伸びました。ただ、当時は肌の露出を良しとする風潮ではなかったので、布面積の小さいビキニの流行には至りませんでした」(永島氏。以下、「」内同)
水着がファッションのひとつとして捉えられ、ビキニが浸透していったのは、高度成長期も終盤に差し掛かった1970年代前半だ。
「1970年にマガジンハウスから『an・an』が、翌年には集英社から『non-no』という女性ファッション誌が創刊されます。この頃から、柄や色、デザインといったオシャレを楽しむ水着が増えていきます。1975年まではビキニが流行しますが、1970年代後半から1990年代前半まではワンピースが主流になります」
1980年代前半の低成長期から一転、バブル経済に沸く1980年代後半になると、同じワンピースでもハイレグが話題を呼ぶようになる。当時の人気グラビアアイドルだった岡本夏生は“ハイレグの女王”という異名を取った。
「たとえば、1989年の三愛の水着カタログを見ると、47型中43型がワンピース。ビキニはたったの4型しか発売されませんでした。完全にワンピースの時代です」
バブル期は肌の露出を多めにしていたのかと思いきや、実際はワンピースが主流だった。その分、ハイレグが目を引いたというわけだ。
「1994年からまたビキニの時代に戻ります。かつては機能性の問題で流行しなかったビキニですが、1996年に『バストアップ多機能ブラ』が登場したことも、その後の隆盛を後押ししました」
かくして、1990年代半ばから現在に至るまで“水着といえばビキニ”という現象が続いているのである。
写真■三愛水着楽園