巨人の黄金時代は『巨人V9 50年目の真実』(鵜飼克郎・著、小学館)にもあるように、川上哲治監督は独自の管理野球によって形作られた。川上監督は同時に「打撃の神様」の異名も持つ技術の持ち主だった。監督として、指導者としての川上監督の思い出を打撃コーチだった荒川博氏と、荒川氏の教え子・王貞治氏と黒江透明氏が語りあった。
荒川:V9が始まる前に王をホームラン王に育てたら、1年の半分くらいは川上さんに二軍へ行かされたね。1964年に王が1試合4打席連続ホームランを打った試合は、自宅でテレビ観戦していた。あの時はカリカリしてたなァ、さすがに(笑い)。
黒江:川上さんらしいですね。勝つためにチームの手綱を緩めない人だったから。
荒川:コーチが天狗にならないように操縦していたんだと思う。翌年の1965年からは、スタメンを決めるのを任された。V1の年から、川上さんはスタメンを決める午後4~5時の一番大事な時間帯に、監督室でゴルフの番組を見ていた。川上さんが「どうだ」と聞くので、いつもの調子だと答えると「任せる」といって、私がメンバー表を書き込み、それに川上さんがピッチャーの名前を書いてサインする、という感じだった。
王:それがチームとしては理想の形かもしれませんね。
荒川:今となっては良い勉強をさせてもらったと思います。打撃の神様だから、自分以外の理論でガンガン打たれるのが気に入らなかったんだろうね。「王は強情だ。ワシのいうことをまったく聞かない」といっていたから(笑い)。
王:川上さんも打撃に関してアドバイスをしてくれるんですが、その頃は僕もある程度実績が出ていたのでね。若いうちは「はい、はい」と答えていましたが、その頃には「打つのは僕ですから、好きなように打たせてください」といえるようになっていたんですよ。
荒川:川上さんが亡くなる前、しみじみといった言葉が忘れられない。「荒川、お前の理論は正しい。俺が間違っていた」ってね。慌てて「オヤジさんにはオヤジさんの理論があるんです」といったけど、現場を離れてから40年近くもたって、“打撃の神様”からそんなことをいわれるとは思わなかった。嬉しかったね。
王:それだけ川上さんはずっと野球のことを考えていたということですね……。
※週刊ポスト2015年8月21・28日号