夏の甲子園準決勝、早稲田実業が仙台育英に敗れた。怪物1年生、清宮幸太郎選手が残した言葉とはなにか。フリーライター・神田憲行氏が現地からお届けする。
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ゲームセットの瞬間、アンダーシャツの袖でグイッと目元を拭った。ベンチ前で仙台育英の校歌を聞いているときは口元をきつく噛みしめていた。だがそれなのに、ベンチ裏に戻ってインタビュールームに入ってきたときは溢れる涙を止めることができない。試合前に汗を拭っていた丸めたタオルで、試合後に涙を拭う。
--その涙は。
「上級生の皆さんと野球がもうできないと思うと、もう悔しくて……」
--清宮君はいつも上級生に感謝すると言ってましたね。
「本当に上級生の方々のお陰で楽しくのびのびさせていただいたので……本当に今の3年生の方々がいなかったら(声を震わせて)今の自分はないと思っているんで……」
清宮選手の取材を通じていつも感じたのは、甲子園の観客と上級生に敬語を使うところだった。たとえば「球場にお客さんがたくさん入って」とは言わず、「お客さんにたくさん来ていただいて」という。「1番の山田さん、2番の玉川さんがたくさん塁に出ていただいているので」などといったりする。私はここに、スポーツだけではない清宮家のふだんの教育を感じる。
--試合前、「校歌を歌うのが癖になっているので、今日も楽しみです」と言っていました。しかし今日は向こうの校歌を聞くことになりました。
「本当に、本当にもう悔しかったです。校歌を聞いている光景は絶対に忘れないです」
清宮選手が甲子園に残した打撃成績は、19打数9安打(チーム最多)、8打点(同最多タイ)、2本塁打(同最多)である。
清宮選手が慕う3年生のキャプテン加藤雅樹選手は涙も見せず、こんな言葉を贈った。
「僕らは今日で終わりですが、あいつはあと4回、甲子園に来るチャンスがあります。いっぱいホームランも打って、高校野球史に残るバッターになってほしい」
今大会は当初から異例の「清宮シフト」が敷かれた。宿舎はファンが殺到する懸念から球場そばのところではなく、バスで移動するところに変えられた。清宮選手の父・克幸氏には、大会本部を通じて「観戦中の取材辞退」が伝えられた。清宮選手への取材も、試合前はカメラの放列が並び、多いときには10台以上数えた。
そんな熱狂の中で、私自身は当初、冷ややかな気持ちがあったことは否定できない。「彼はこれから何かをなす器かもしれないが、まだ何もなしていないのではないか」という想いがあった。大会の中で活躍し、人気を集めていった荒木大輔や斎藤佑樹とは違う、と感じていた。
しかし、外のチェンジアップを拾った打球が美しい放物線を描きながらスタンドに吸い込まれていくのを見て、魅せられた。さらに内角のストレートをライナーでスタンドに叩き込んだときは驚きを通り越して呆れた。清宮選手は本当に怪物だった。
最後の取材のなかで、丁寧な物言いをする清宮選手が荒々しい感情を表したところがあった。
--甲子園の砂を持ち帰らなかったですね。
「また戻って来るんで、(強く首を振り)要らないっす!」