「ナマで日本美術を観に行こう」と始まった大人の修学旅行シリーズ。今回は幕末明治に一世を風靡した絵師・河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)。狩野派の伝統技法から、遊び心溢れた戯画など、作風は多彩かつ広範。また、「日本建築の父」建築家ジョサイア・コンドルとの知られざる師弟関係など、その半生は驚きの連続だ。
「日本美術応援団長」で明治学院大学教授の山下裕二氏(美術史家)とフリーアナウンサーの酒井千佳さんが、日本が生んだ稀代の天才絵師の世界に誘う──。
山下:河鍋暁斎(1831~1889)は、正統派の水墨画、美人画から、ユーモラスな戯画、妖怪、春画と、多彩な作品を残し、幕末明治には狩野派の師から「画鬼」と呼ばれて愛され、絶大な人気を得た絵師です。でも、建築家ジョサイア・コンドルが弟子入りしたことは知られていません。酒井さんは大学で建築を専攻したのでご存じでしょう?
酒井:はい、東京駅、迎賓館をそれぞれ設計した辰野金吾、片山東熊の師で、「日本建築の父」として知られています。鹿鳴館や御茶ノ水のニコライ堂、この展覧会の会場の三菱一号館も設計していますね。
山下:明治14年に開催された第2回内国勧業博覧会の会場である上野博物館も設計していますが、暁斎はその博覧会に出品した『枯木寒鴉図』で絵画の最高賞「妙技二等賞牌」を受賞しました。コンドルはその絵にほれ込んで弟子入りします。
酒井:コンドルが日本絵画を学んでいたなんて大学では教えてくれなかったので驚きです。
山下:暁斎は6歳で浮世絵師の歌川国芳に師事し、9歳の時に日本画壇の主流だった狩野派に入門します。浮世絵と狩野派の素養があるというのは、現代なら「東京芸大出身の画家であり、人気マンガ家でもあった」といったことになりますね(笑い)。
酒井:しかも、ダイナミックな大作から繊細な小さい作品まで、信じられないくらい多才なんですね。『蛙を捕まえる猫図』なんて、グエッと呻き声が聞こえてきそうなほどリアルです。