【書評】『独りでいるより優しくて』イーユン・リー・著/篠森ゆりこ・訳/河出書房新社/2600円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
天安門事件にまつわる小説というと、中国に生まれアメリカに移住した英語作家ハ・ジンの『狂気』、中国出身の日本語作家楊逸の『時が滲む朝』などがある。『独りでいるより優しくて』のイーユン・リーもまた、中国から米国に渡り英語で創作する作家である。文革から天安門事件に取材した作品は、決まって複数の言語を経て、「重訳」のような形で国外の読者にもたらされる。
本作は、少艾(シャオアイ)という女性の葬儀で幕を開ける。二十二歳で天安門広場の抗議デモに参加し、大学を放校になった彼女は、その後、毒入りの飲料を飲んで昏睡に陥り、以後二十一年間、口もきけず、身体不随のまま、とうとう急性肺炎で亡くなったのだ。
当時、少艾の家に同居していた如玉(ルーユイ)がくだんの化学薬品を盗み出したとわかり、嫌疑がかかったが、結果として事件は迷宮入り。この毒物事件の「毒」はそれを飲んだ本人だけでなく、同じ四合院に暮らした友だち三人の人生をじわじわと蝕んでいく――。
感情を見せないカトリックの如玉と、化学の博士号をもつ黙然(モーラン)は現在、アメリカで生活しているが、結婚と離婚を経験し、心に空虚を抱えている。中国に残った泊陽(ボーヤン)は土地開発の仕事等で成功しているが、少艾の存在を元妻や友人から隠しつつ面倒をみてきた。
現代と一九八九年頃を行き来して語られる物語は、じれったいほどゆっくりと謎の核心へ迫っていく。殺意はあったのか? あったなら、誰が誰を殺そうとしたのか? 政治的動乱の陰で起きた個人的な悲劇。如玉はこう思う。「少艾は純真ですらあった。でも、それを他人を汚すために使える(中略)最悪の闘いは純真な者たちの間で起こる」若い世代の彼女たちが選んだ孤独という防護策。
「感情が鈍りほとんど苦しまずに済む」―作中の一文は、免疫学者を志して渡米したリー自身の、「活発に生きないことだけが人生への免疫になる」という言葉を“翻訳”したものだろうか? 言語の壁を越えて、人間の生の声が痛いぐらい響いてくる。
※週刊ポスト2015年9月4日号