写真家・森山大道氏(76)のキャリアは半世紀を超える。彼はその間、新宿を撮り、沖縄を撮り、遠野を撮り、国道を撮っている。ファインダー越しに見る風景はどう変わっていったか? 「自分の中には戦時中から終戦直後の時代に対するものすごい回帰願望がある」と語る森山氏は、佐野眞一氏のインタビューで、こう語る。
「これは僕の個人的な心情ですけど、昭和20~30年代というのは、街の風景にしても、人間のありようにしても、何かみんな輪郭がくっきりしていたような気がしますね。時代が進めば進むほど、輪郭線がぼやけてくるような気がしてなりません」
森山は20、30年前の新宿の街頭を撮った写真を見ると、いまと違うところがはっきりわかるという。
「人間の様子がはっきり違うんです。20、30年前は携帯がありませんでしたが、いま新宿を撮ると、ほとんど全員が携帯を操作している」
本物のカメラマンの視点のすごさは、こういうところに現れる。言われてみれば誰でもわかるが、ファインダーの中の全員が携帯を手にしている風景は、SF映画以上に不気味である。
「僕は携帯が悪いなんてちっとも思わない。でも、やっぱりものをあまり考えずに何でも手軽にできる社会が、人間の輪郭線をぼやけさせているような気はしますね。あんまり社会評論的なことは言いたくないんだけど、欲望も等質になっていくような気がします」
──輪郭がぼやけてきたという意味でいえば、少年犯罪の多発とも関連しているような気がしませんか。
「人殺しというのはいつの時代もある。だから、あまり関連付けて考えない方がいいかもしれません。ただ、携帯とかパソコンとかゲームとかが出来てから、深い理由もなしに人を殺す少年が確かに増えてきたような気はします」
──輪郭が曖昧になってきたということは日本人の顔が恐ろしく変わってきたことと同じだと思いませんか。例えば政治家でいえば、田中角栄や吉田茂的な顔は見事にいなくなりましたよね。
「いませんね、たしかに」
──反対に、安倍晋三的な顔がふえてきている。そういう感じがしてならないんですが。
「やっぱり日本人の顔も大きく変化していると思います。何か全体的に特徴のないのっぺりした顔が多いですね」
半世紀以上、日本人の顔を見つめ続けた男の発言には余人には絶対太刀打ちできない説得力があった。(文中一部敬称略)
※SAPIO2015年9月号