有名ブティックやカフェが建ち並ぶ東京・原宿。次々に大型商業施設が建つ現在では外国人の「観光スポット」としても知られているが、1970年代の原宿は、若者文化の発信地として今とは違う顔を持っていた。
人通りも疎らだった戦後の原宿が変貌するきっかけになったのは、1964年の東京五輪だった。在日米軍の兵舎「ワシントンハイツ」の跡地にNHKや渋谷公会堂が誕生、表参道周辺にはブティックやカフェが建ち始め欧米文化の香りが漂う街へと変わっていく。
その中心に「原宿セントラルアパート」(現・東急プラザ表参道原宿)があった。若き日の浅井慎平や糸井重里が事務所を構え、カメラマンやデザイナーなどのクリエーターが多く出入りした。『70’ HARAJUKU』(小学館)で、当時の普段着の原宿のスナップショットを集めたスタイリストの中村のん氏が語る。
「新宿辺りで集まって文学論や演劇論を熱く語るような感じとは違う、クールな雰囲気を求める人たちが原宿に惹き寄せられたのではないかと思います。セントラルアパート1階にあった喫茶店『レオン』の常連だった舘ひろしさんや岩城滉一さんたちが売れっ子のモデルと一緒にいても、ジロジロ見るのはカッコ悪いから誰も見ない。そんな街だったんです」
自らの才能と将来の夢を信じて人々が集まった70年代の原宿。だからこそ街もより個性的に輝いていたのだろう。
※週刊ポスト2015年9月18日号