今年で10回目を迎える江戸文化歴史検定(江戸検/11月3日実施)だが、頂点の1級は受検者総数4万2000人中、合格者わずか250人という超難関だ。ここでは、泰平の世に事務能力で出世を競った武士たちに関する模試に挑戦していただこう。
【問1】旗本・御家人は将軍直属の家臣で、家禄1万石未満の者たちです。では、旗本と御家人の身分を分ける基準として、正しいのはどれでしょう?
(い)家禄500石以上が旗本で、未満が御家人 (ろ)江戸城内に入れるのが旗本で、入れないのが御家人 (は)将軍に御目見(拝謁)できるのが旗本で、できないのが御家人 (に)関ヶ原の戦い以前からの家臣が旗本で、以後になったのが御家人
【問2】将軍の日常生活や政務の場だった中奥の長官で、おもに将軍と老中との間を取り次いだ幕府の役職を、何というでしょう? 5代将軍綱吉のとき、牧野成貞が任命されたのが始まりで、続いて柳沢吉保がその役職につき、大いに権勢をふるいました。
(い)大目付 (ろ)西丸留守居 (は)若年寄 (に)御側御用人
【問3】昌平坂学問所で学んだ旗本・御家人が受験し、その結果がのちの立身出世につながるものとされた試験を、何というでしょう? 「遠山の金さん」で親しまれる遠山景元の父景晋も受験し、合格しています。
(い)学問吟味 (ろ)口頭試問 (は)席書 (に)学力考査
正解は下に。
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【正解】
【問1】(は)。昌平坂学問所では、旗本は御家人を「イカ」(御目見以下の意)、御家人は旗本を「タコ」(上にあがることばかり考えている意)と呼び、反目しあっていた。ちなみに旗本は譜代(世襲制)、御家人は基本的に抱席(一代限り。ただし実際には世襲)だった。
【問2】(に)。いわゆる側用人。取次拒否権があったため、老中以上に権力を持った。8代吉宗が廃止したが、9代家重が言語不明瞭だったため復活。なお、柳沢吉保の異例の出世は、側室の染子が産んだ子(吉里)がじつは綱吉の子であるという風聞を呼んだ。
【問3】(い)。寛政4年(1792)に始まった「学問吟味」は、四書五経の解釈などを問う筆記試験。合格すれば出世の糸口になったとされる。狂歌で有名な御家人の大田南畝(おおたなんぽ)も首席で合格し、長崎奉行となった景晋の配下として勤務した。
※週刊ポスト2015年9月18日号