神戸連続児童殺傷事件の犯人、元少年A。手記『絶歌』(太田出版)の出版騒動は記憶に新しいが、また大きな動きを見せた。8月29日、女性セブン宛に少年Aから手紙が届いたのである。手紙には、被害者への謝罪などはなく、自身のホームページを公開したことが書かれていた。これにはどんな狙いがあるのか…。
この事件を取材し、『「少年A」14歳の肖像』を書き上げた作家・高山文彦氏に話を聞いた。
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この手紙からは、Aが更生や謝罪の人生を、手記を綴る前からすでに捨てていたことがわかる。出版前のAには、見城徹の心を掴むということが自らのレゾンデートル(存在理由)になってしまっている。強い失望を感じました。
手紙では、手記出版の経緯の真相を明かすために筆を執ったといいながら、その過程で被害者遺族についてどう考えていたのかという部分は一切書かれていません。むしろ“また世の中を騒がせてみせる”という野心が強くにじみ出ています。
『絶歌』では、一連の事件後に“酒鬼薔薇聖斗は消えた”と書いているけど、とんでもない。より卑しく、世俗にまみれて堕落しながら、その精神を発露させている。
ホームページの立ち上げとその告知が全てを物語っています。“酒鬼薔薇教”の教祖になって、自分で自分を売りだそうということでしょう。ホームページが話題になれば、本がまた売れる。そうすればさらなる金が入る。手紙もホームページも、露骨なまでの金目当てだということです。
Aは出所後の惨めな人生に絶望していましたから、もう不定期労働のような仕事は堪えられないのではないか。
それに、この国では表現の自由が憲法で保障されている。あざとくもAはそのことがわかっている。手記を書こうとホームページを立ち上げようと、法的には何の問題もない。
殺人者の表現の自由と、人としての倫理や遺族感情をどう天秤にかけるのか。Aのホームページはわれわれに大きな問題を問いかけています。
もし今後、Aが自らの言葉を発信していくのであれば、せめて『絶歌』で書かれなかったことを明かしてほしい。少年院時代にどういった矯正プログラムを受け、どんな心理変化を経て退院したのか。性的サディズムをどう克服したのか。今のAには望むべくもない話ですが。
※女性セブン2015年9月24日号