神戸連続児童殺傷事件の犯人、「酒鬼薔薇聖斗」こと「元少年A」。手記『絶歌』(太田出版)の出版騒動に続き、HPを開設した。女性セブンに対して開設等を伝える手紙を送ってきたが、手紙には元々手記執筆をオファーした幻冬舎・見城徹氏への恨みがましい言葉も綴られていた。このホームページ作成の意図とはなにか。社会心理学者の碓井真史氏(新潟青陵大学教授)の分析を聞いた。
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“酒鬼薔薇聖斗”はまだ続いていると感じます。
事件当時、Aは自分の名前が間違えて報じられたことに怒り、神戸新聞社に犯行声明を送っています。この精神構造がまるで変わっていない。
手紙の中でAが見城氏に嘘をつかれたと感じているのは、たとえば『その後は一切Aとは連絡を取っていない』という部分です。非常に些細なことですが、本人はそのことについて《内臓を捩じ切られる》ほど怒りを感じてしまう。そしてその怒りをA4で20ページの文章にする。
Aには独自の思考大系があり、ある部分においては他の人よりもずっと冷静でいられる。『絶歌』の中で、動物を虐待した時のことも、犯罪についての回想も、淡々と、具体的に書ける。ホームページのプロフィール文も、『冷酷非情なモンスター』という言葉に『』をつけるあたり、世間からはそう見られている私ですが…という冷静な観察がある。
ところが名前を間違えられたり、自分の思う事実と齟齬のある発言をされると、途端にその冷静さを失い、狂気がもたげてくる。
ホームページ内の写真についても、18年前の彼の人間性を彷彿とさせます。
そこに表れているのは、自己顕示欲や自己承認欲求という言葉では到底表現できないほどの、病的なまでの「自分を知らしめたい」という欲求です。小さな男の子を殺害し、首を校門に置く。手記を書いて事件を告白し、ホームページを作って自分の全裸を晒す。当時も今も、彼の根底にあるのは自分を世界に知らしめるという一点に集約される。
その一方で、他者を理解するという感情や共感能力は極めて希薄です。ホームページを立ち上げたら遺族はどう思うか、ナメクジの写真を掲載したら見る人がどんな気持ちになるか、そういうことを想像する力が欠落しています。
これは事件を起こした当時から変わっていない。
18年前の事件と犯行声明文、6月の手記の出版、そして今回の手紙とホームページ。全てがつながっている。事件はまだ終わっていないということを強く感じます。
※女性セブン2015年9月24日号