【著者に訊け】姜尚中さん/『悪の力』/集英社新書/756円
【内容】川崎市中1男子生徒殺害事件、群馬大病院事件、名古屋大女子学生による殺人・放火事件…。現代社会に跋扈する悪と、それに対する一般市民の過剰な反応は何を源泉としているのか。冒頭には──『悪』の存在を教えてくれた『A』に──という意味深なエピグラフが記されている。「読む人によっていろんな解釈があり得ると思います。ぼくが辞任した大学関係者のAかもしれないし、手記を出版した元少年A、不正行為に明け暮れる政治家Aかもしれませんね」(姜尚中さん)
許せない! という荒々しい気持ちが熱湯のように自分の中で沸きたつ。60代半ばにして初めてそのような体験をしたことが、本書を書くきっかけになったという。
「凶悪な事件が起きたり権力者の不正行為が明らかになると、わーっとバッシングが起こりますよね。ネットリンチみたいなものに対してぼくはどちらかと言うと、感情的になるのはやめましょう、なぜ起きたのか、どんな背景があるのかを考えましょう、とクールダウンを促す側だったんです。ところが、世の中には悪人としか言いようのない人が実在する。
ぼく自身が初めてそれを目の当たりにした時、とてもクールダウンするどころではありませんでした。映画や小説で親しんできたカッコイイ悪人のイメージもがらりと変わってしまって、悪とは何か、改めて考えてみようと思ったんです」
第1章では実際の殺人事件やテロ事件から、第2章では聖書や文学作品から、さまざまな「悪」のあり方が紹介されている。
「犯罪の事例ばかりだと読んでいて気が重くなっちゃうでしょう(笑い)。かといって悪という概念について文化論的な背景を論じると、とても難しくなってしまう。気軽に手に取ってもらえるように、現代に生きる私たちが共有している悪のイメージを広く扱ったつもりです。
共通して言えるのは、悪人は自分しか信じていないということ。だけど自分しか信じない人間は、やがて自分をも信じられなくなるんです。ある意味空っぽなんですね。そこに悪意や殺意が取り憑いた時『悪人』ができあがるんだと思います」
イスラム原理主義や過激なナショナリズムの世界的な流行も、出所は同じ「空虚さ」だと指摘する。
「グローバルリズムが進むことによって、選択の自由、そして自己責任という考え方が一般化しましたよね。つまり他人を信じるとバカを見る、自分だけを信じなさい、あるいは信じられるのはお金だけだ、と言われ続けているわけです。だけどやっぱり、何も信じないという生き方に人間は耐えられない。原理主義というのはこれだけを信じればいいという考え方ですから、楽なんですよ」
凶悪な犯罪、そしてそれを憎む気持ちと私たちはどのように向き合っていけばよいのだろうか。
「ネットに『許せない』とか『死刑だ』とか書き込む人たちは、自分の価値観を誰かと共有したいのでしょう。犯罪というものが、社会をくっつけるセメントの役割を果たすようになってきている。皮肉といえば皮肉なことだけれども、ネガティブな感情の中にもポジティブなものが宿っていると、ぼくは前向きに考えたいですね」
(取材・文/佐藤和歌子)
※女性セブン2015年10月1日号