長者番付は時代を映す鏡である。現在はIT企業の起業家たちが上位を占めるが、1980年代は相場師とバブル紳士が勃興した時代だった。
1980年代に入ると日本企業の輸出攻勢に非難の声が高まり、時の中曽根康弘内閣が民活導入による内需拡大を前面に打ち出したため、国内の景気が上がり、「バブル経済」が徐々に膨らんでいった。
一般庶民までが“財テク”に走り、土地や株式が大量に買われて右肩上がりに上昇していった。相変わらず土地長者が長者番付の上位に名を連ねる状況は続いたが、以降は株長者も上位を賑わすようになった。
1980年度は千葉県千葉市に隣接する四街道市有数の地主で、父の死去による相続税を捻出するため、約10万平方メートルの土地を日本住宅公団などに売却した大川堅一郎が1位となった(申告所得額・34億493万円)。また、この年には千葉市の暴力団組長・篠観兵が5位にランクインし(同8億3460万円)、「ヤクザも申告している」と話題になった。
1981年度の1位になった田村酒造15代目・田村半十郎も東京・立川の大地主だった(同36億4292万円)。1979年に死去した先代の相続税を納めるため、先祖代々の土地を手放したことで日本一の長者となった。
株長者が1位に躍り出たのが1982年度。“最後の相場師”の異名を持つ是川銀蔵だ(同28億9090万円)。
「彼の有名な投資は住友金属鉱山株の買い占めです。1981年に同社が鹿児島県菱刈町で金鉱脈を発見したことを受け、是川は同社株を大量に買い集めた。その後、その鉱脈が想像以上に大規模なものと分かり、株価は急騰。市場関係者の間では、是川は200円台で仕込んだ同社株を1000円台で売却し、約半年で200億円近い儲けを出したといわれました」(マーケットアナリスト・平野憲一氏)
だが、その噂が広まったことで、大阪国税局の税務調査を受けて巨額の申告漏れが発覚。修正申告をしたため、是川は1位に躍り出たといわれている。
(文中敬称略)
※週刊ポスト2015年9月25日・10月2日号